『ゴーン・ガール』(2014)

デヴィッド・フィンチャー監督の『ドラコン・タトゥーの女』(2011)に続く最新作は前作同様大ベストセラーミステリーの映画化です。今回はギリアン・フリン著『ゴーン・ガール』が原作です。

『ドラコン・タトゥーの女』は一見普通のサスペンス映画ですが、過剰とも言えるほど凝りに凝った映像で莫大な製作費がかかった超大作です。映画を見慣れた人ならその凄さがわかりますが、もし映画を普段観ない人が観るとただの火曜サスペンス劇場と大差ないように見えるかもしれません。あまりに凄すぎて普通に見えてしまう作品なのです。いかにこの映画が凄いものなのかを知るにはDVDもしくはBlu-rayでデヴィッド・フィンチャー監督のオーディオ・コメンタリーをお聞きになるとわかります。震えますよ。映画の見方が変わります。

『ゴーン・ガール』では映画好きと自称する原作者のギリアン・フリンが脚本も手掛けています。原作をそのまま映画化しているわけではなく、異なるところ、変えているところがあります。映画秘宝2015年1月号で岡本敦史氏の「どこよりも早い『ゴーン・ガール』映画╳映画徹底比較」に紹介されています。

5回目の結婚記念日の朝、ニック・ダン(ベン・アフレック)が帰宅すると妻のエイミー(ロザムンド・パイク)がいない。やがて失踪したと気づく。失踪事件はテレビ番組にも取り上げられ、日々報道が激化するなか、ちょっとしたことから徐々にニックの過去が暴かれてゆき、やがて夫のニックがエイミーを殺害したのではないかと世間は思い始めます。
現実に起こる失踪事件でも失踪を訴える本人が殺害しているということがあるように映画でも見続けていくうちに「本当は旦那が殺したんじゃないの?」と思える状況証拠が次つぎと出てくるのです。そして、その疑惑はニックだけでなくニックの双子の妹マーゴ・ダン(キャイリー・クーン)にも嫌疑の目が向けられます。テレビ番組ではニックに同情する失踪事件からいつの間にか夫が妻を殺害した事件として扱うように変わっていくのです。二人は徐々に追いつめられていくのです。

この展開はアメリカの実在する事件と人気テレビ番組が元になっています。

スコット・ピーターソン事件

ひとつは実際に2002年に起こったスコット・ピーターソン事件がモデルになっています。
カリフォルニアで2002年のクリスマス・イヴに夫のスコット・ピーターソン(Scott Peterson)が釣りから帰ったら妻のレイシー(Laci)がいなくなっていた。妊娠8か月のお腹にはコナーと名付けられた男の子がいました。全米が見守る大事件となり街を挙げて捜索活動を行ないますが、翌2003年4月13日、サンフランシスコ湾に首のない女性の遺体とへその緒がついた胎児の遺体が発見され、DNA鑑定でレイシーと断定さて、4月18日殺人犯として夫のスコット・ピーターソンが逮捕されたのです。2005年3月16日に死刑宣告を受けます。

この事件はウィキペディアで “Murder of Laci Peterson” として載っていますが、それ以外にウィキペディアの殺人事件編といえる “Murderpedia” というサイトで Scott Lee Peterson としても載っています。他にも殺人のデータベースはいくつか(たとえば “crime library“)あり、スコット・ピーターソン本人だけでなく被害者の妻の顔写真などもネットで観ることができます。なんだか怖いですね。

scott-peterson-booking-sizedそういうサイトやGoogleでスコット・ピーターソンを検索して本人の顔を見ると、ベン・アフレックそっくりに見える写真がいくつか出てきます。
例えばこの左の顔写真がそうです。
ベン・アフレックが主演なのはスコット・ピーターソンに似ているからじゃないかと思われて仕方ないですね。ぼくはそれも狙っているなと思います。

日本ではこのスコット・ピーターソン事件はほとんど取り上げられることがありませんでしたので馴染みが薄いですが、1981年に起こった三浦和義事件、通称ロス疑惑という事件をご存知でしたら、その事件になぞらえてみると想像しやすいかもしれません。ロス疑惑にそっくりのストーリーで主演男優が三浦和義そっくりさんが演じているとしたらテレビ番組の再現ドラマっぽく見えてしまうと思いませんか? そのそっくりさんがわざと嫌疑をかけられるような演技をしてしまったら思わず笑ってしまいそうになると思います。
『ゴーン・ガール』のなかで、失踪した妻のポスターを横に写真を撮られるシーンで誰かが「笑って!」という場違いなリクエストに思わず答えて笑みを浮かべるというシーンはそういうウケを狙った演出なんですね。他にもそんな妻を殺した凶悪犯の癖にちょっと間抜けな男として描かれているシーンがいくつかあります。

ナンシー・グレース・ショー

ellenabbot

映画ではエレン・アボット(ミッシー・パイル)がホストを務めるケーブルテレビ番組がメディアの力を利用して関係者からの証言や状況証拠を揃えて、やがで番組内で夫が妻を殺害したと決めつけてどんどん追い詰めていきます。
これがこの映画でもうひとつ元になっているナンシー・グレース・ショーというテレビ番組です。CNNが運営するニュースチャンネルHLNで2005年から放送されている番組(アメリカでは単に「Nancy Grace」という番組名)です。HLNというのは Headline Newsの略ですね。

このナンシー・グレース・ショーは今でもアメリカで月曜日から木曜日までの毎夕8時から放送されているようで、実際の進行中の事件を取り上げて番組内で勝手に犯人を推理してその人を糾弾していくというトンデモ番組です。
こういうのって日本でも朝のモーニングショーや昼のワイドショーなどでも似たことをやってますよね。さっき挙げたロス疑惑もそうで、場合によっては警察の捜査を妨碍しているとも言われかねない過激な報道を行なっています。

自警への警鐘

最近、日本でもメディアを悪者扱いする言葉を目にしたり耳にすることが多い気がしています。ぼくはここでメディアを擁護するつもりはありませんが、メディア側からするとそういうのを人は好むからやってるんだと言えることもあります。
この映画に限らず映画の題材のひとつに「自警に対する恐怖」を描いているものが少なからずあると感じています。あたかもそう見えるような断片だけを集めて提示することで、それが真実のように見えてしまうのがメディア操作の恐ろしいところですが、そのメディア操作によって大衆がそれを鵜呑みにしてしまうことで、無実の人を陥れることになることがあるじゃないかということです。警察を無視して犯人探しをしても本当にいいのかという問題です。
去年2014年には中古販売店まんだらけで鉄人28号のフィギュアが万引きされた事件が起きた時、まんだらけが万引き犯に対して返さなければ防犯カメラの映像を公開するとことがありました。警視庁は捜査に支障があるとして公開をやめるように要請したそうですが、盗まれたものは自分で取り返したいという被害者の気持ちも理解でき、社会的に関心の高い事件となりました。気持ちは分かるけれど、じゃあ被害者が独自に犯人を暴くのが正しい行為なのかということについては考える必要があるのです。

先のナンシー・グレース・ショーでも自分の子供がいなくなったと訴える母に「本当はあなたが殺したんでしょ」と追求していってそのお母さんが自殺する事件が起こっています。母の死によって真相はわからないままのようですが、番組がその事件を闇に葬ったとも見えるわけです。

ということでスコット・ピーターソン事件とナンシー・グレース・ショーが『ゴーン・ガール』のモデルになっていると考えられます。

と、ここまでが全体の三分の一なんです。
この後、映画はジェットコースターのような展開を見せます。


WARNING
以下、映画を観ていない方は観賞後に読まないと一生後悔します!


続きを読む▶

マイク・ニコルスとヘイズ・コード

2014年11月10日の高倉健の死去に続き11月28日には菅原文太が亡くなりました。昭和を代表する二大俳優に挟まれるかのように11月19日にアメリカの映画監督マイク・ニコルズが83年の生涯を閉じました。高倉健と同い年ですね。

残念なことに日本では2人の陰に隠れてあまり話題にならなかった気がします。日本での知名度から考えると無理もないかもしれません。

マイク・ニコルズは知らなくてもダスティン・ホフマンを一躍有名にした映画『卒業』ならご存知の人は多いと思います。またバブル期の女性版『ウォール街』と呼ばれメラニー・グリフィスが主演した『ワーキング・ガール』(1988年)も監督している人です。
1967年に発表した『卒業』はマイク・ニコルズの紛れもない代表作というだけでなくアメリカン・ニューシネマの代表作でもあり、同時にヘイズ・コード撤廃を決定づけるアメリカ映画史上とても重要な作品と言えます。

ヘイズ・コード(Hays Code)とは1934年から1968年まであったアメリカ映画における自主規制の検閲制度なんですが、このヘイズ・コードを説明するにはアメリカ映画の大雑把な歴史について触れる必要があります。

『ゴッドファーザーPart II』(1974)の印象的なシーンに幼いヴィトー・コルリオーネがひとりでニューヨークに船でやってくるシーンがあります。映画では1901年ということになっています。その船には溢れそうなほどたくさんの人たちが乗っていて入国管理局で入国審査を行なうシーンがあります。英語が話せないヴィトー・コルリオーネが通訳の人に助けてもらいます。映画もこの船に乗って上陸してきたとも言えそうな年代です。事実翌1902年4月にロサンゼルスに映画専門館がオープンしています。
この当時、オペラや舞台劇が文化的に高い地位にあり、芸術として認められていたのに対して映画はただの娯楽商品であり低俗なものとして扱われていました。
渡米したばかりで英語が使えないユダヤ人たちは当時サイレントだった映画を産業としてハリウッドで築き上げていきました。ヨーロッパでも映画は広まりますが1914年に第一次世界大戦が始まったために、映画産業はハリウッドで勢力を拡大してきます。やがてトーキーになった映画もハリウッドでは多くのユダヤ人を養うための産業として存在していました。ユダヤ人たちが勢力を拡大していることにやはり逆風が訪れてきます。特にカトリック教会からの圧力がかかってきます。1929年にイエズス会のロード神父たちが「映画はセックス、犯罪、不道徳な行動を促進させている」と非難を浴びせます。
そこで職を失いたくないユダヤ人たちは自主規制を導入することで身を守ろうとします。それがヘイズ・コードです。ハーディング政権時に郵政長官を務めたウィル・H・ヘイズをアメリカ映画製作者配給協会に招き、改善の姿勢を見せました。
つまりごく簡単に言うとキリスト教対策として自主規制コードを定めたのです。
従って反キリスト教的なものを基準に11の禁止事項と24の注意事項を定めました。
禁止事項は、冒瀆的言葉、好色もしくは挑発的なヌード、薬物の違法取引などの禁止があり、殺人、強盗、結婚の習慣などを注意事項として挙げています。結婚の習慣を規制するということは両親の寝室が別ということです。
もちろんハッピーエンドしかダメです。悪が勝つ、離婚、浮気などのストーリーは禁止です。あるいは離婚、浮気などが行なった登場人物は罰を受ける物語でなければなりません。子供向けディズニーアニメや『サザエさん』みたいなものになりますね。
家族全員で楽しめるものしか作りません、と宣言する事でユダヤ人たちの仕事を守ったのです。
自主規制は1934年から実施されて守られてきましたが、1960年代にベトナム戦争や公民権運動などによってアメリカ社会が激変します。
世の中は変わってきたにも関わらず、ハリウッドは旧態依然。人事的にも平均年齢が60歳を超えるユダヤ人たちの既得権益に守られるようになっていました。
そうしている間に戦後ヨーロッパではイタリアの「ネオ・レアリスモ」フランスの「ヌーヴェル・ヴァーグ」などの新しい映画が出てきました。
アメリカの若者たちを中心にヨーロッパ映画に客が流れるようになります。
時代は新しい映画を求めてくるようになります。
そんな時に『バージニア・ウルフなんかこわくない(Who’s Afraid of Virginia Woolf?)』という映画が1966年に発表されます。この作品は二組の夫婦の計4人だけが登場し、罵倒し合うという夫婦の偽善的関係を描いた作品で、台詞中に「汚い言葉」がいくつもありました。その中からセックスを意味する言葉を消したものの、「fuck」はそのまま残っていたためにハリウッド映画史上はじめて「fuck」が使われた映画となり、結果的に下品な言葉が承認されたことを示すことになりました。ヘイズ・コードに風穴を空けることになったのです。
この映画を撮ったのが1931年にベルリンでユダヤ系ロシア人の父とドイツ人の母の間に生まれた Michael Igor Peschkowsky というユダヤ系ドイツ人でナチスに追われて1939年にアメリカに移住してきたアメリカ名マイク・ニコルズで、これが彼のデビュー作なのです。
マイク・ニコルズは翌1967年には『卒業』を発表します。
『卒業』というタイトルは同時にヘイズ・コードからの卒業も宣言しているのです。翌1968年にヘイズ・コードは廃止され、現行のレイティングシステムに移行されます。
そしてようやくアメリカ映画はアメリカン・ニューシネマというムーヴメントが花咲きます。

話は少し戻って『バージニア・ウルフなんかこわくない』という映画とよく似た作品として思い出されるのが2011年にロマン・ポランスキーが発表した『おとなのけんか』です。これも二組の夫婦のみの出演で会話を重ねるにつれて険悪なものになる映画です。

マイク・ニコルズは生涯三度結婚しますが、最後の奥さんはABCニュースのメインニュース番組であるABCワールド・ニュースのアンカーを務めたダイアン・ソイヤーです。

abc_diane_saywer_bio_dm_110412_wmain


附記:ヘイズ・コード

【禁止事項】

  1. 冒瀆的な言葉(”hell”, “damn”, “Gawd” など)をいかなる綴りであっても題名もしくは台詞を使うこと。
  2. 好色もしくは挑発的なヌード(シルエットのみも含む)または作品内のhかの登場人物による好色なアピール
  3. 薬物の違法取引
  4. 性的倒錯
  5. 白人奴隷を扱った取引
  6. 異人種間混交(特に白人と黒人が性的関係を結ぶこと)
  7. 性衛生学および性病ネタ
  8. 出産シーン(シルエットのみの場合も含む)
  9. 子供の性器露出シーン
  10. 聖職者を笑い者にすること
  11. 人種・国家・宗教に対する悪意を持った攻撃

【注意事項】

  1. 国際関係(他国の宗教・歴史・習慣・著名人・一般人を悪く描かないように気をつけること)
  2. 放火行為
  3. 火器の使用
  4. 窃盗、強盗、金庫破り、鉱山・列車および建造物の爆破など(あまりにも描写が細かいと障碍者に影響を与える恐れがあるため)
  5. 残酷なシーンなど、観客に恐怖を与える場面
  6. 殺人の手口の描写(方法問わず)
  7. 密輸の手口の描写
  8. 警察による拷問の手法
  9. 絞首刑・電気椅子による処刑のシーン
  10. 犯罪者への同情
  11. 公人・公共物に対する姿勢
  12. 教唆
  13. 動物及び児童虐待
  14. 動物や人間に対して焼き鏝を押し付ける
  15. 女性を商品として扱うこと
  16. 強姦(未遂も含む)
  17. 初夜
  18. 少女による意図的な誘惑
  19. 結婚の習慣
  20. 手術シーン
  21. 薬物の使用
  22. 法の執行もしくはそれに携わる者を扱うこと(タイトルのみも含む)
  23. 過激もしくは好色なキス(特に一方が犯罪者である場合は要注意)

 

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」第一回

映画『ショーシャンクの空に』の印象的なシーンに主人公のアンディがモーツァルト歌劇「フィガロの結婚」のレコードを刑務所じゅうに放送するシーンがあります。そのためアンディは光の入らない独房に何日も閉じ込められてしまいます。禁が解けて戻ってくると囚人仲間から辛かったろうにと心配の言葉をかけてもらうと彼はずっとモーツァルトを聴いていたと答えます。仲間はついに頭が変になってしまったんじゃないかという顔を見せますが、アンディは頭の中は自由だというのでした。
今回のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」第一回「人むすぶ妹」で似たエピソードが描かれています。
幕府が禁書と定めた書物をめぐり、見つかったら投獄されると心配する主役の杉文(井上真央)に対して、学びたい気持ちがあれば投獄されることくらい大したことではないと兄の吉田寅次郎(後の吉田松陰・伊勢谷友介)は考えています。たとえ身体を拘束されたところで頭の中にまでは縛られない。
異端と思われて仕方がない考え方に見えますが、これは育ての親である玉木文之進(奥田瑛二)の厳しい教育の成果でもあります。禁書を読むような者は教え子にいてはならないと考える玉木文之進に対して、師の教えに忠実に学問していくと禁書を読まずに封じ込めることは間違っているという考えに至ります。
このエピソードはカソリック全盛期の16世紀に神学を学べば学ぶほどローマ・カトリック教会の言ってることと聖書に書かれている言葉との違いに気づいて宗教改革を行なったマルティン・ルターと同じです。
一見異端に見える出来事も、単なる反発や反抗心ではなく、親の教えに忠実に従ったことで親を殺すことになる、そんなテーマが込められていると感じました。

また「言葉の力」を感じさせる演出となっていました。杉文が孟子の言葉を暗唱するシーンや寅次郎の演説シーンは感動的でした。

前回の大河ドラマ「軍師官兵衛」は主演の岡田准一はよかったのですが、演出がとてもいびつでした。物語としては面白かったのですが、ドラマとしてみた時には見るに耐えられるレベルではありません。
かなり大げさな感情表現は観る者を白けさせ、特に必要以上に涙を流す中谷美紀には今日くらいは泣かんといてくれと思うほどいつも泣きはらした赤い目をしていました。松坂桃李もコントじゃないかと思えるほど台詞棒読みだったし、塚本高史とのダイアログのシーンは見ていられなかった。これらは演技というより演出上の問題です。また戦国時代にも関わらず的場浩司が討死するワンシーンを除き一滴の血も流れないなんて単なる形式主義じゃないか。切腹しても血が流れないなんて完全に歪んでる。
それに比べると、今回の「花燃ゆ」第一回はかつてないほどの素晴らしい出来だと思いますし、期待できると思っています。