『楽聖ショパン』(1945)

反田恭平が2位、小林愛実が4位という素晴らしい栄誉となった第18回ショパン国際ピアノコンクールをYouTube配信で連日見ながら、ショパンのことをあまり知らないなとAmazonプライム・ビデオで見つけたので見てみました。

ショパンの生家とそっくり組まれたセットから始まります。映画の中ではショパンの才能を見出したエルスナー教授とショパンの師弟物語という構成になっている。教授というには人格破綻しているキャラクターにいささかイライラしっぱなしです。こんな先生の元ではまともな生徒なんか出てこないぞと思い、あまりの無茶な展開に見るのをやめようかと何度も思いつつ、日を分けて3日ほどかけてやっと見終わったという無茶なレビューです。

登場人物は数人。無理矢理まとめると登場人物3人でなんとか説明できる映画となっている。エルスナー教授、ショパン、ジョルジュ・サンド。1h53minの尺ではっきりいって1時間25分頃まではおっちょこちょいで自分勝手なエルスナー教授、恋人で同棲しているというのに夫人という呼称のままのサンド、その間でふらふらしていて正直何考えているのかわかるようなわからないような巻き込まれキャラのショパンの物語。

この映画が一体どこに向かおうとしているのか全くわからないままその1時間半くらいまで進むと映画が一転する。それがポーランド暴動のニュース。歴史的には実際どういうものだったのかは調べていないのでわからないけれど、ただそこで三人の考え方が決定的に分かれてしまう。そしてこれこそがこの映画のテーマなんじゃないかという考えに至りました。

日本では命が一番大切、一番大切なものは命であって命の尊さを知るというのが絶対的価値になっている。それは本当にそうなのだろうかというのがこの映画にある。

小説家でもあるサンドは、芸術家の使命は多くの芸術作品を世に残すことであると考えている。そのためには生きていかなければ作品も残せない。死んでは元も子もない。
対してエルスナー教授は祖国への愛である。自分が生きているのは途絶えることなく続いてきた自分の先祖であり、そのご先祖さまを守ってきたのは祖国である。祖国を蔑ろにしてまで生きていく価値はないという考え方なんだろうと思う。
つまり命が一番と考えるサンドと、命よりも大切なものがあると考えるのがエルスナーの話なのです。

そう考えて最後の25分を見るとそれまでドリフのコントのようなシーンも多い映画が急に輝いてきます。

自分の仲間が殺されていくのを知りつつそれに目を閉ざして自分の芸術作品を生み出すことが正しいことなのか。もし自分には僅かかもしれないけれどそれを救う手立てがあるのであればもしかしたら自分は命を落とすかもしれないけれど、やってみようという気持ちと行動を起こすのかどうするのか。

映画の中でサンドは天才作曲家の使命は曲を残すことでありショパンはポーランドという小国を超えた人類のために人生を全うすべきであると考える。

ショパンは祖国の同志を裏切って得た人生は本当のものではない、祖国のためにもしすべきことがあるのであれば、それをしなければ魂を売ってしまうことと同じだという考えに至る。

このストーリーがショパンの伝記なのかという疑問はあるが、映画としてはそこをテーマに描いている。もっというなら、このテーマを描くためにショパンという題材を選んだように思える。なぜなら、事実とはおそらく異なるエピソードや人物描写が多すぎるように思ったからだ。

この映画は1945年1月に公開されている。つまりはまだナチスが持ち堪えているころで、ナチスがユダヤ人大虐殺を行っていることが広まってきた頃だと思う。そんななかで、言葉悪いが呑気にショパンの伝記映画を作ってる暇はない。いや、ショパンを描くことで国家、あるいはスラブ民族の魂を声高く唱えようとしたのではないか。そんな映画に思えました。

原題の “A Song To Remember” は自分が高校入学時に学校から渡された楽譜集のタイトルでもありましたとさ。

関連サイト▶︎
IMDb

『善き人のためのソナタ』(2006)

この映画は2007年12月5日にWOWOWで放送された時に初めて見た。その時に録画していて、2021年9月25日に2回目を見た。正確には2007年に2回見たと思う。

原題は “Das Leben der Anderen” 英語でのタイトルは”The Lives of Others”。直訳すると「他人の生活」となる。邦題の方がいいのとちゃいますか。

この作品は自国ドイツの映画賞のみならず多くの賞を受賞しています。なかでも米国アカデミー賞の外国語映画賞を受賞したことで話題性がぐっと高まったのではないかと思います。

2006年度の第79回アカデミー賞は2007年2月25日、コダック・シアターでエレン・デジェレス(Ellen DeGeners)司会で行われました。この年の外国語映画賞ノミネート作品は、スサンネ・ビア監督『アフター・ウェディング』(デンマーク)、ラシッド・ブシャール監督『デイズ・オブ・グローリー』(アルジェリア)、ギレルモ・デル・トロ監督『パンズ・ラビリンス』(メキシコ)、ディーパ・ミータ『ウォーター』(カナダ)と『善き人のためのソナタ』でした。最有力候補と目されていたのは『パンズ・ラビリンス』でした。

この年の外国語映画賞は50回になることを記念し、ノミネート発表前に渡辺謙とカトリーヌ・ドヌーヴによって過去の受賞作の名場面をエンニオ・モリコーネの音楽に合わせてジュゼッペ・トルナトーレが見事に編集したショートフィルムが流されました。会場は感動に包まれました。

続いてケイト・ブランシェットとクライブ・オーウェンがプレゼンテーターとして登場し、有力候補の『パンズ・ラビリンス』を抑えて『善き人のためのソナタ』が受賞します。
監督のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク(Florian Henckel von Donnersmarck)が壇上に駆け上がり「トルナトーレに泣かされたと思ったら受賞でさらに涙が」と話しました。
「スタッフキャストにも感謝」という言葉に合わせてカメラが客席を写すと、した。
黒縁の眼鏡にスキンヘッドのガリガリの男がそのフレーム内にいた。
その男が主演の男優だと知ったのは、受賞後まもなく彼が癌で死んだニュースからだった。

その主演男優の名前はウルリッヒ・ミューエ(Ulrich Mühe)2007年7月22日死去。54歳だった。

今回は、作品そのものではなく、アカデミー賞受賞に関する記事でした。後日、作品そのものについての記事を書きます。


 

『心と体と』(2017)

最近なぜだか鹿が気になる。
『スリー・ビルボード』(2017)でフランシス・マクドーマンの目の前に現れた鹿に話しかけるシーンがありました。
『クィーン』(2006)ではエリザベス2世(ヘレン・ミレン)が領地で鹿と出会いしばらく見つめ合うというシーンがありました。
あと、最近見た映画でいくつかの作品で鹿が出てくるものがあり、たまたまカメラに映ったというのではなく意図的に映しているというものでした。
『スリー・ビルボード』では亡き娘の化身として、『クィーン』では事故死したダイアナ妃の化身のようにも見える出場をしてます。

ハンガリー映画の『心と体と』ではいきなり鹿が出てきます。それも雄と雌の一頭ずつ。ストーリーが進むごとに何度も鹿のシーンが入ってきます。それがただ撮っているという感じではなくまるで会話をするようです。とてもいい雰囲気です。見ているだけで微笑ましい。こんなシーンどうやって撮ったんだろうと思います。

2頭の鹿は主演の若い女と中年の男の夢の中だということがわかります。
現代風にたとえると(といってもこれも現代映画なんだけれど)ゲームの世界に登場させるアバターが鹿になっているといえば近いのかもしれません。

中年男は片手が不自由です。左腕がまったく動かない様子です。
若い女は極度な几帳面さと恐るべき記憶力と他者との接触を嫌う自閉症に近いキャラクターです。この不完全な男女が共通の夢で出会うことから現実の世界にどう決着していくかというストーリーだと言えます。セリフが少なく静的な映像に引き込まれていく名作です。

この男女が出会うのが上司と部下になる職場が舞台になるんだけど、それが食肉処理場なんです。生きている牛が牛肉となる過程をしっかり見せます。映画館のスクリーンで見るとちょっと残酷に見えそうです。ドキュメンタリー映画の『いのちの食べ方』でたしか見たようなほとんど機械化された処理ではなく、意外と職員が素手で牛を触って切断したりしていました。こういうところで働くには牛を命と思って見ていたらやってられないなあと思っていると、就職面談のシーンがあり、入社希望の男が「全然平気っす! いくらでも殺せますよ!」的な発言をすると「そういう人がこの仕事をすると心が壊れるから無理だ」的な返事をします。あれれ、逆なんや。

監督・脚本はイルディコー・エニェデイ(ハンガリーは日本と同じ姓名の順なのでエニェデイ・イルディコー Enyedi Ildiko となります)でこの作品で第67回ベルリン国際映画祭で最高賞の金熊賞を獲得しています。

鹿が気になると思っていたら『籠の中の乙女』の監督の最新作のタイトルが『聖なる鹿殺し』でした。2019年3月公開予定。

公式ホームページ▶︎https://www.senlis.co.jp/kokoroto-karadato/
Facebook ページ▶︎https://www.facebook.com/kokoroto.karadato/
IMDb▶︎https://www.imdb.com/title/tt5607714/


次ページはネタバレではないのですが、かなり大胆な論をご紹介しますので、映画をご覧になった人限定で、興味のある人のみご覧ください。

『グレイテスト・ショーマン』(2017)

すごくシンプルなストーリーなのでミュージカルにしないと作品にならなかったのか? と思ってしまった。

ジェニー・リンドが熱唱するシーンが印象的ですが、本当は何を歌ったんだろう。
メンデルスゾーンやアンデルセンは一言も出てこなかったのは残念でした。

「絶賛の嵐!」という評判がハードルを上げすぎてしまったのか、平均的なミュージカルでしかなく、興行成績に似合うほどの作品性はありません。すかすかです。
それはなぜか。
舞台のシチュエーションと音楽の乖離です。
サーカス小屋で歌って踊るという「出し物」をミュージカルとしているが、小屋の観衆もその音楽を楽しんでいるように撮られています。
なのに流れる音楽はその当時のものではない。エレキギターもロックもない時代なのにどうも妙なのです。
これは類似例としてバズ・ラーマン監督作「ムーランルージュ」にも言えますがファンタジーシーンつまり登場人物の空想シーンが多いため違和感がない。
決定的なのは、ジェニー・リンドの存在です。彼女が現実通り当時ヨーロッパで最も有名なソプラノ歌手として描かれているのに、彼女が歌うのはバラードであり、声楽家ですらないということです。
一気に酔いが覚めます。
 

『ラ・ラ・ランド』とは比較にならない

『ラ・ラ・ランド』の作詞・作曲チームが歌って踊れるヒュー・ジャックマン主演で贈る最高のエンターテイメント作品! と大々的に宣伝され、興行的に大ヒットを飛ばしたけれども、その華やかな宣伝に懐疑的なこともあり映画館では見ませんでした。なぜなら音楽チームはそうかもしれないというだけで監督脚本がそもそものデイミアン・チャゼルではないわけです。『ラ・ラ・ランド』はミュージカル映画の文法に忠実でありながらミュージカル映画の新しい見方を教えてくれた画期的な作品と言えます。妙な例えですが、聖書を正しく読めば読むほどに当時のローマ教会に異を唱え宗教改革を行ったマルティン・ルターに似てるような気がします。

それに比べると『グレイテスト・ショーマン』はただのミュージカル映画でしかありません。大ヒットした「This Is Me」をはじめ歌曲は素晴らしく、サントラは相当レベルだと思いました。しかし残念ながら映画作品としてはとても一流とはいえないものでした。どこがいいのかわからないほど面白くない。面白くなる要素はいっぱいあるはずなのに、なぜここまでつまらないのか。

違和感その1:P・T・バーナムのキャラクター

この映画の主役のP・T・バーナム(Phineas Taylor Barnum 1810.07.05 – 1891.04.07)をはじめ見世物小屋に登場する人たちはすべて実在する人物です。ヒゲが生える女性やシャム双生児などすべて本当にいた人たちなのだそうです。そう考えるとP・T・バーナムという興行師はどうも胡散臭い人なのです。奇形の人を集めて、奇人変人をメインに見世物小屋を運営しようとする人です。なのに邪悪なところがありません。それはヒュー・ジャックマンが2009年のアカデミー賞の司会をするのを見てキャスティングが先にあったからです。歌って踊れる芸達者の男前俳優ヒュー・ジャックマンを主演にミュージカル映画を作れば大ヒット間違いないと考えたプロデューサーの発案が先にあり、ヒュー・ジャックマンのキャラクターには合わないP・T・バーナムに当てたからです。そこでそもそもキャラクター設定とストーリーが合ってこずに、かなり無理矢理なストーリーとなったのが最大の問題でした。

違和感その2:ジェニー・リンド

見るつもりがなかったこの映画を見ようと思ったのは、個人的にメンデルスゾーンを歌うことになり色いろ調べているとこの映画との関係性を見つけ、WOWOWで放送されたことで見ることができました。

きっかけとなったのは中野京子著『芸術家たちの秘めた恋—メンデルスゾーン、アンデルセンとその時代』(集英社文庫)という本です。19世紀を生きたドイツ人音楽家メンデルスゾーンとデンマーク人作家のアンデルセン、この育ちも容姿も正反対の二人をつなぐ、神の声を持つと言われたスウェーデン人の歌姫ジェニー・リンドをめぐる物語です。そのなかに、ジェニー・リンドがP・T・バーナムに誘われて全米ツアーに出るという話があります。この映画はまさにそこを描いています。映画ではレベッカ・ファーガソン Rebecca Ferguson というスウェーデン人の美しい女優が演じています。レベッカ・ファーガソンはトム・クルーズ主演の『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』という大ヒット映画(トム・クルーズが飛行機にしがみついたまま飛んでいくポスターで知られています)にヒロイン役として出演して一躍有名になりました。

本物のジェニー・リンド Jenny Lind (1820.10.06 – 1887.11.02)もスウェーデン人で「スウェーデンのナイチンゲール」と言われた歌姫であり、母国では絶大な人気を誇っていました。そんな彼女の声に惚れたのがデンマークの童話作家アンデルセンでありユダヤ人作曲家のメンデルスゾーンです。詳しくは『芸術家たちの秘めた恋—メンデルスゾーン、アンデルセンとその時代』に預けますが、メンデルスゾーンがリンドと出会い、1845年12月4日と5日のライプツィッヒの演奏会で彼女の伴奏をしています。その時リンドは「歌の翼に」などを歌っています。

翌1846年4月12日にはメンデルスゾーンはジェニー・リンド、フェルディナント・ダーヴィット、クララ・シューマンを迎えて演奏会を開いています。ちなみにメンデルスゾーンはベートーヴェンのピアノソナタ「月光」を弾いてます。
続けて5月31日から6月2日にかけてアーヘンで音楽祭を主催し、そこにジェニー・リンドも参加しています。

メンデルスゾーンはオラトリオ「エリア Elias」のソプラノソロパートを書いたと言われています。オラトリオは英語で歌われるそうで英語が苦手なリンドは出演をオファーを躊躇していたようです。「エリア」は1846年8月26日にバーミンガムで2,000人の聴衆の前に初演されました。残念ながらこの初演にリンドはいませんでした。
そしてメンデルスゾーンは1847年11月4日に亡くなってしまいます。

リンドがP・T・バーナムの依頼を受け全米ツアーに出たのが1849年で、メンデルスゾーンの死後のことです。
『グレイテスト・ショーマン』にそういうことが一言も触れられていないは残念でなりません。
レベッカ・ファーガソンに声を当ててローレン・オルレッドが歌っていた「Never Enough」はいい曲だと思いますが、残念でなりません。

さらにいうなら、P・T・バーナムに対しリンドに恋愛感情が生まれるようなことはありえず、なんと滅茶苦茶なと思わずにいられません。まさになんじゃこりゃなのです。

参考▼
「歌の翼に」Auf Flügeln des Gesanges

1827年に詩人ハイネが発表した『歌の本』に収められている詩にメンデルスゾーンが歌曲(『6つの歌曲』Op.34, 1832-1836)にしたものです。

メンデルスゾーン作曲「Die Nachtigall(ナイチンゲール)」Op.59, 1844
ゲーテの詩にメンデルスゾーンが曲をつけています。スウェーデンのナイチンゲールと言われたジェニー・リンドに捧げたのかどうかは不明です。

https://www.orchester.uni-bremen.de/SS14/Die_Nachtigall.pdf

公式ホームページ▶︎http://www.foxmovies-jp.com/greatest-showman/

『オリエント急行殺人事件』(2017)

世界で最も有名なミステリー小説の映画化というのはむつかしい。犯人は誰かみんな知っているので、今更犯人は一体誰なのかをオチにしても作品にはならないからです。加えて1974年に豪華キャストで映画化され大成功した作品があるのになぜ今映画化するのだろうという素朴な疑問がありました。
今回も豪華キャストでの映画化ということもあるけれども、スコット・フリー製作ということとシナリオがマイケル・グリーンという2点が見ようと思った動機です。

ここでは、原作や前作との比較はせずに本作映画から読むことのできる内容だけに触れたいと思います。これから先は映画を見終わってから読むことをおすすめします。

エルサレムの嘆きの壁から始まります。なぜここから始まるんだろうと思いながら見ていました。名探偵ポアロの天才ぶりを見せつけるシーンとなっています。

クライマックスはオリエント急行が雪崩によってトンネル手前で脱線停車したその場所で迎えます。ポアロが皆をトンネルに集めるシーンにこの映画の本当のテーマが表現されています。

トンネル入り口に向けてテーブルを一直線に並べて脱線したオリエント急行を眺めるような向きに皆が一列に座ろうとしているシーンです。着席してる人、これから座ろうとしている人などがまばらになる瞬間を捉えたようなショットです。その様子はレオナルド・ダ・ヴィンチの代表作『最後の晩餐(伊 L’Ultina Cena・英 The Last Supper)』そのものになっています。


12人が共謀してひとりの男を殺すというひとつの殺人事件がキリストの話として昇華させることを宣言するシーンに一変します。
中央に座するミシェル・ファイファーが金髪のカツラを脱ぎ、茶黒の髪を解く容貌はイエス・キリストに重なります。
ミシェル・ファイファーが全員の罪をすべて引き受けようとするのは、まさにキリストが人間の罪をひとりで背負うという大きなテーマに変換されます。

そう見ると、最初になぜ嘆きの壁が出てきたのか、そしてオリエント急行が走る道、12人の乗客のルーツにユダヤ人の歴史が重なってきます。

 

マイケル・グリーンというシナリオライター

『エイリアン:コヴィナント』『ブレードランナー2049』そしてこの『オリエント急行殺人事件』にはスコット・フリーが製作しているという以外にもうひとつの共通点がマイケル・グリーンがシナリオを書いたという共通点があります。そしてこの3つのテーマはいずれも神の話として書かれているというマイケル・グリーンの作家性を見ることができます。

『ハドソン川の奇跡』(2016)

原題 “Sully” とはトム・ハンクス演じる主人公チェスリー・サレンバーガーの愛称です。
監督はクリント・イーストウッド。彼が監督することになった理由は超低予算で撮るにはイーストウッドでなければできなかったとなにかで読んだか聞いたかしたと思います。サントラのピアノの音は監督自ら弾いたものです。

アカデミー賞作品賞候補にもなったヒット作ですし、アメリカ人なら誰でも、アメリカ人でなくても世界中の人たちがその顛末を含めて知っている事件を元にした題材なので、いわゆるネタバレのない内容です。

ここでは映画評というよりは、ドキュメンタリーと見た場合の感想を書いてみます。

人の命を救っても、その選択が他のどの行為よりも正しかったのかを問い、もしも間違っていれば制裁を加えられるという国。
裁く側は、例えば今回の映画でいうならパイロットや航空工学の専門家ではなく、ただのコメンテーターのような輩である。そういうプロフェッショナルでない者たちが平気でプロフェッショナルの仕事に土足で入り込み、お前のやり方は間違っているというわけだ。
主人公のパイロットがそれ以上のプロフェッショナルだと思ったのが、そういう慇懃無礼な輩に対し声を荒げることもなく落ち着いた声で彼らを導いたところである。

今日のアメリカらしいものの考え方だと思います。正義とは何かという問題よりも合法か非合法なのかを徹底的に問います。正義であっても違法なら罰を受けるし、悪であっても合法ならばなんのお咎めもないということです。

最近の日本もこういう考え方にかなり寄ってきているような気がします。

『メッセージ』(2017)

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品には映画の説明そのものがネタバレになる作品が多く、傑作にもかかわらず見ていない人に薦めるのがとてもむつかしい。この『メッセージ(原題:Arrival)』も同じです。

ですので、以下内容に著しく触れるために映画を見終わってからご覧ください。

原作はテッド・チャンが1998年に発表した『あなたの人生の物語(原題:Story of Your Life)』というSF短編小説です。映画を見てから読む方が圧倒的にいい小説だと思います。
映画を見た人にぼくはひとつ意地悪な質問を出すことにしています。

「この映画の主人公は誰ですか?」

エイミー・アダムスでしょ。映画でいうと言語学者のルイーズ・バンクス?

でも、わざわざそんなこと聞いてくるということは別の人?
実は宇宙人たち?

もしかしたらエイミー・アダムスの娘だったりして。

映画がはじまって少しするとエイミー・アダムスの「これはあなたの物語です」というナレーションが入ります。それは彼女の娘に語られるということがわかり、短いシークエンスで娘が若くして亡くなることがわかります。宇宙人とのファーストコンタクトものの映画と思っていたらそこが主題ではなくて実は娘の物語なのかと思わせるナレーションです。

ということは、本当の主人公は娘なのかと思います。

ぼくの考えは実は違っていまして、もう少し説明を続けますね。

映画が進んでいくとルイースがウェーバー大佐(フォレスト・ウィテカー)に宇宙人への質問について説明するシーンがあります。

What is your purpose on earth?

この英語の”your”が単数なのか複数なのか説明が必要であるという場面があります。

これは最初のナレーション「これはあなたの物語です」といった「あなた」が複数であることを示唆しているようにも見えるセリフとなるわけです。

『メッセージ』を象徴する一枚の名画

これは「ラス・メニーナス」です。スペインの画家ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)が1656年に発表した大傑作で日本語で「女官たち」や「侍女たち」と訳される『ラス・メニーナス(原題:Las Meninas)』そのものです。

この絵の主人公はだれか?

一見絵の真ん中にいる少女であるフェリペ4世の娘マルゲリータ王女を描いた絵に見えます。絵の左端に絵筆を持った男はベラスケス自身ですが、イーゼルに支えられた大きなカンバス越しにこちらをみています。一点透視図法で描かれているのでベラスケスが描いているのはマルゲリータ王女ではなさそうです。
画面を良く見るとマルゲリータ王女のやや上の背後の壁にかかった鏡にうっすらと二人の人影が見えます。
この二人こそこの絵画の発注主であるスペイン国王夫妻なのです。つまりこの絵はベラスケスがフェリペ4世夫妻を描いているところを描かれている国王夫妻から見た風景を描いているのです。
そしてこの絵画を現在私たちが見るとき、ちょうど国王夫妻が立っていた場所に立って鑑賞することになるのです。

『メッセージ』の最初のナレーション「これはあなたの人生の物語です」ということは娘のことを指しているだけではなくこの映画を見ている私たちに対して向けられた言葉に聞こえてきます。
ただの鑑賞者であった私たちが、他人事ではなく自分の物語として語られるわけです。
そう考えられるのは、自分の娘との回想シーンがより近い自分の目線を再現したような撮り方になっているのはそういうことを表現しているように思います。


『ピュア 純潔』(2009)

アリシア・ヴィカンダーが母国スウェーデンで初主演した日本未公開作品。1988年10月3日生まれなので公開時21歳です。
WOWOWが平成29年2月9日に日本で初めて放送しました。

アリシア・ヴィカンダーの演技に感服しました。芝居っぽくない演技。指先の動きがとても美しい。
舞台となったのはヨーテボリコンサートホールです。北欧らしいシンプルな空間です。
アリシア・ヴィカンダー演じるカタリナがコンサートホールで受付係の仕事を得ます。そのためクラシックの名曲がいくつか演奏されます。
モーツァルト:レクイエム、交響曲第25番、クラリネット協奏曲K622。
ベートーヴェン:交響曲第7番。
バッハ:ゴルトベルク変奏曲。
ジュール・マネス:歌劇『タイス』より瞑想曲。
などです。
特に、モーツァルトレクイエムとベートーヴェン交響曲7番は重要な曲となってます。

ただ、音楽描写が少し粗い気がします。レクイエムのテンポが早い。指揮者の指揮法が下手だなあと思うけれど、ベートーベン7番がだんだん上手くなっていくところなどは気持ちよかった。

舞台のコンサートホール Göteborgs Konserthus はストックホルムの建築家 Nils Einar Eriksson 設計で1935年に竣工したモダニズム建築です。
図書館として登場するアトリウム空間はヨーテボリ大学ビジネス・経済・法学部の自習室のようです。なんと羨ましい。

映画の中でキルケゴールの言葉が引用されます。「勇気は人生を開く」という言葉です。いろいろ調べてわかったのが英語では “Courage is life’s only measure.” となっているようです。
ところが出典元がわからない。目下調査中です。

作品データ
原題/Till det som är vackert (Pure)
制作年/2009
制作国/スウェーデン
内容時間(字幕版)/102分
ジャンル/ドラマ

出演
カタリナ/アリシア・ヴィカンダー(Alicia Vikander)
アダム/サミュエル・フレイレル(Samuel Fröler)
ブリジッタ/ジョゼフィーヌ・バウアー
マチアス/マルティン・ヴァルストローム

スタッフ
監督/リサ・ラングセット(Lisa Langseth)
脚本/リサ・ラングセット
撮影/シーモン・プラムステン(Simon Pramsten)
音楽/ペル=エリク・ワインベルグ(Per-Erik Winberg)

公式サイト▶︎ wowow.co.jp/detail/108761
IMDb▶︎

『エクス・マキナ』のポロック

出演者わずか4人。舞台は人里離れた邸宅。しかも、出てくる部屋はごく限られ、部屋に置かれているモノもごく少ない。
うっかり寝てしまいそうな抑えられた演出。
そんな地味で静かな作品ですが、その表現形式とは真逆でとても大きなテーマを扱っている作品です。
淡々として一見要素の少ない画面に、さまざまな要素を巧みに組み合わせているのです。
要素が少ない分、その要素の意味も重くなっていると言えます。
そういう意味でカルト映画の巨塔『ブレードランナー』を意識した映画に見えます。表現形式は違いますが、カルト映画となる条件は揃っています。
アレックス・ガーランドはこれが監督初作品ですが、この前に『わたしを離さないで』の脚本を書いていて、どちらも似た題材を扱っていると言えます。そしてテーマはどちらも『ブレードランナー』と同じです。
早くもカルト映画の傑作といわれている本作には書くべきところがいろいろ出てくるので、今回は一枚の絵について書いてみます。

部屋にジャクソン・ポロックの絵が架けられています。
本編にポロックについて語られるシーンもあます。
絵についてセリフのなかでポロックの絵画手法をAIになぞらえて語られています。
具体的にはドリッピングによる絵は一体誰が書いたと言えるのか。ポロックは自分を無にして、意図的に書いているわけではないが、ランダムに書いているわけでもない。それはAIロボットであるエヴァと対比して話されています。エヴァはコンピュータのワイヤーフレームのような線画を描くのですが、それがなんなのかわからない。そのことと対比させるためにポロックの絵を使っています。

この映画にポロックの絵が出てくるのにはもうひとつの意味があることに気がつきました。

2006年11月にゲフィン・レコードの社長デイヴィッド・ゲフィンが所有していた「No.5, 1948」をにメキシコの投資家デイヴィッド・マルチネスが1億4000万ドルで競り落としたとニューヨークタイムズ紙が報じたのです。

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1億4000万ドルというと当時のレートで約165億円、この映画の製作費1500万ドルの9倍以上です。
この落札額は絵画の最高価格に近い金額で、つまりはとてつもない価値のある絵ということです。
なんだこんな作品にこれほどの金額がつくなんて、それだったら自分でも描けたのに!と思った批評家は多かったようです。
ところが、このポロックの絵を数学的に分析してみると、意外にもかなり巧みな技を駆使していたことがわかってきました。
マーカス・デュ・ソートイ著の『数学の国のミステリー』にこんなことが紹介されています。

 事実、オレゴン大学のリチャード・テイラー率いる数学者の一団が1999年にポロックの絵を分析したところ、ポロックがあのひきつけの発作のような手法で自然好みのフラクタル図形を作り出していたことが明らかになったのだ。ポロックの絵は、一部を拡大しても全体ときわめてよく似ており、どうやら、フラクタルの特徴である無限の複雑さを持っているらしい(もちろん拡大倍率をどんどん上げていけば、けっきょくはひとつひとつの絵の具のはねが見えてくるわけだが、それにはキャンバスを千倍以上に拡大する必要がある)。

この数学的分析によってポロックの作とされる絵画の真贋を判定することができるようになりました。
ポロック・クラズナー真贋証明委員会がテイラー率いる数学者チームに依頼し、収蔵庫から見つかった32作すべてが偽物であると判定されたのです。
一方でテイラーは、フラクタルな絵画を描く「ポロック化装置」を作っている。絵の具を入れた壺を糸で電磁コイルに取り付けて、いかにもポロックらしい作品を描くことができるそうです。
ここで重要なのは「数学的分析」ということなんだと思います。
映画の中ではその壁に掛けられたポロックの絵にゆっくりとカメラが寄るシーンがあります。
この絵は本物か偽物かをあなたは見分けられるかな。きっと見分けられまい。もう人間には判断できないんだよ、とじわじわと迫ります。
『ブレードランナー』のタイレル社のフクロウのように。

参考文献:マーカス・デュ・ソートイ『数字の国のミステリー』新潮文庫

原題 Ex Machina
監督 アレックス・ガーランド
出演 ドーナル・グリーンソン
   アリシア・ヴィキャンデル
   オスカー・アイザック
音楽 ベン・サルスベリー
撮影 ロブ・ハーディ
上映時間 108分
公式サイト exmachina-movie.jp


関連記事の紹介
『エクス・マキナ』の面白いエピソード15選!▶︎http://ciatr.jp/topics/163731
http://www.in-movies.com/blog/2016/5/29/-exmachina-
http://kagehinata64.blog71.fc2.com/blog-entry-1152.html
http://touris2.oops.jp/2016/06/14/exmachina/

『ボーダーライン』(2015)

期待が高まりすぎたために、必要以上にハードルを上げてしまい、本当はかなりいい作品なのに思ったほどいい作品と思えなくなることがありませんか。
メキシコ麻薬戦争という題材、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品、しかも撮影監督はロジャー・ディーキンス。期待するなと言われても期待してしまう組み合わせです。
でもな。
そんなにすごくないかもしれないしな。
という不安も一瞬頭をよぎりました。
でも、大丈夫です!
期待以上です。
さすが、プロが本当のプロの仕事をしてくれました。

あまりにもよかったので、4回映画館に行きました。本当はもう一回行けそうだったのは残念でしたが、でも4回のうち3回は最前列中央に座って、視界の端まで映画の世界に浸ることができました。

と、この映画に関してはあまりに気に入ってしまったため、感想を書くのがむつかしい。
ただの依怙贔屓の内容になってしまいそうになるからです。
でも、何も触れないわけにもいきませんので、今回は、音楽について少しだけ書いてみます。

アカデミー賞が偉いといいたいわけではありませんが、この作品はアカデミー賞の撮影賞・作曲賞・音響編集賞にノミネートされました。
音楽を担当したのはヨハン・ヨハンソン(Johann Johannsson)で、この映画の前に担当したのは『博士と彼女のセオリー』(2014)です。ご覧になった人はなんとなく覚えていらっしゃるかもしれませんが、弦楽器とピアノを中心とした美しく優しいメロディーの映画音楽です。
ところが、『ボーダーライン』では、音楽というよりもむしろ効果音のようなものです。同じ作曲家が作曲したとは思えないほど異なっています。
これは最近の映画音楽の傾向のように思っています。
誰がやり始めたのか正しくはわかりませんが、ハリウッド映画音楽界の重鎮ハンス・ジマーが『ダークナイト』の頃から実験的に始めているように感じます。
ハンス・ジマーの音楽でいうと、『インセプション』ではハンス・ジマー節といえる彼ならではのメロディーも使われていますが、かなりすごいことやっています。『インターステラー』ではその得意技を封印し、効果音のような音楽を提供しています。
デヴィッド・フィンチャー監督作品の音楽担当といえるナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーも音楽というより効果音に近いと言えます。
今回のヨハン・ヨハンソンの音楽はその延長線上にあり、ひとつの頂点といえるレベルまで高まったように感じます。
メロディーを封印して打楽器のリズムだけで表現してるように聞こえます。もっと正しく言うと意図的に音楽は聞こえず、心臓の鼓動のような音が、見る者の緊張感を高めてくれます。
その音を楽しむには映画館で体験するしかなく、4回も通った理由のひとつとなっています。

原題 Sicario
監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演 エミリー・ブラント
   ベニチオ・デル・トロ
   ジョシュ・ブローリン
撮影 ロジャー・ディーキンス
音楽 ヨハン・ヨハンソン
上映時間 121分
公式サイト border-line.jp/