2014年11月10日の高倉健の死去に続き11月28日には菅原文太が亡くなりました。昭和を代表する二大俳優に挟まれるかのように11月19日にアメリカの映画監督マイク・ニコルズが83年の生涯を閉じました。高倉健と同い年ですね。
残念なことに日本では2人の陰に隠れてあまり話題にならなかった気がします。日本での知名度から考えると無理もないかもしれません。
マイク・ニコルズは知らなくてもダスティン・ホフマンを一躍有名にした映画『卒業』ならご存知の人は多いと思います。またバブル期の女性版『ウォール街』と呼ばれメラニー・グリフィスが主演した『ワーキング・ガール』(1988年)も監督している人です。
1967年に発表した『卒業』はマイク・ニコルズの紛れもない代表作というだけでなくアメリカン・ニューシネマの代表作でもあり、同時にヘイズ・コード撤廃を決定づけるアメリカ映画史上とても重要な作品と言えます。
ヘイズ・コード(Hays Code)とは1934年から1968年まであったアメリカ映画における自主規制の検閲制度なんですが、このヘイズ・コードを説明するにはアメリカ映画の大雑把な歴史について触れる必要があります。
『ゴッドファーザーPart II』(1974)の印象的なシーンに幼いヴィトー・コルリオーネがひとりでニューヨークに船でやってくるシーンがあります。映画では1901年ということになっています。その船には溢れそうなほどたくさんの人たちが乗っていて入国管理局で入国審査を行なうシーンがあります。英語が話せないヴィトー・コルリオーネが通訳の人に助けてもらいます。映画もこの船に乗って上陸してきたとも言えそうな年代です。事実翌1902年4月にロサンゼルスに映画専門館がオープンしています。
この当時、オペラや舞台劇が文化的に高い地位にあり、芸術として認められていたのに対して映画はただの娯楽商品であり低俗なものとして扱われていました。
渡米したばかりで英語が使えないユダヤ人たちは当時サイレントだった映画を産業としてハリウッドで築き上げていきました。ヨーロッパでも映画は広まりますが1914年に第一次世界大戦が始まったために、映画産業はハリウッドで勢力を拡大してきます。やがてトーキーになった映画もハリウッドでは多くのユダヤ人を養うための産業として存在していました。ユダヤ人たちが勢力を拡大していることにやはり逆風が訪れてきます。特にカトリック教会からの圧力がかかってきます。1929年にイエズス会のロード神父たちが「映画はセックス、犯罪、不道徳な行動を促進させている」と非難を浴びせます。
そこで職を失いたくないユダヤ人たちは自主規制を導入することで身を守ろうとします。それがヘイズ・コードです。ハーディング政権時に郵政長官を務めたウィル・H・ヘイズをアメリカ映画製作者配給協会に招き、改善の姿勢を見せました。
つまりごく簡単に言うとキリスト教対策として自主規制コードを定めたのです。
従って反キリスト教的なものを基準に11の禁止事項と24の注意事項を定めました。
禁止事項は、冒瀆的言葉、好色もしくは挑発的なヌード、薬物の違法取引などの禁止があり、殺人、強盗、結婚の習慣などを注意事項として挙げています。結婚の習慣を規制するということは両親の寝室が別ということです。
もちろんハッピーエンドしかダメです。悪が勝つ、離婚、浮気などのストーリーは禁止です。あるいは離婚、浮気などが行なった登場人物は罰を受ける物語でなければなりません。子供向けディズニーアニメや『サザエさん』みたいなものになりますね。
家族全員で楽しめるものしか作りません、と宣言する事でユダヤ人たちの仕事を守ったのです。
自主規制は1934年から実施されて守られてきましたが、1960年代にベトナム戦争や公民権運動などによってアメリカ社会が激変します。
世の中は変わってきたにも関わらず、ハリウッドは旧態依然。人事的にも平均年齢が60歳を超えるユダヤ人たちの既得権益に守られるようになっていました。
そうしている間に戦後ヨーロッパではイタリアの「ネオ・レアリスモ」フランスの「ヌーヴェル・ヴァーグ」などの新しい映画が出てきました。
アメリカの若者たちを中心にヨーロッパ映画に客が流れるようになります。
時代は新しい映画を求めてくるようになります。
そんな時に『バージニア・ウルフなんかこわくない(Who’s Afraid of Virginia Woolf?)』という映画が1966年に発表されます。この作品は二組の夫婦の計4人だけが登場し、罵倒し合うという夫婦の偽善的関係を描いた作品で、台詞中に「汚い言葉」がいくつもありました。その中からセックスを意味する言葉を消したものの、「fuck」はそのまま残っていたためにハリウッド映画史上はじめて「fuck」が使われた映画となり、結果的に下品な言葉が承認されたことを示すことになりました。ヘイズ・コードに風穴を空けることになったのです。
この映画を撮ったのが1931年にベルリンでユダヤ系ロシア人の父とドイツ人の母の間に生まれた Michael Igor Peschkowsky というユダヤ系ドイツ人でナチスに追われて1939年にアメリカに移住してきたアメリカ名マイク・ニコルズで、これが彼のデビュー作なのです。
マイク・ニコルズは翌1967年には『卒業』を発表します。
『卒業』というタイトルは同時にヘイズ・コードからの卒業も宣言しているのです。翌1968年にヘイズ・コードは廃止され、現行のレイティングシステムに移行されます。
そしてようやくアメリカ映画はアメリカン・ニューシネマというムーヴメントが花咲きます。
話は少し戻って『バージニア・ウルフなんかこわくない』という映画とよく似た作品として思い出されるのが2011年にロマン・ポランスキーが発表した『おとなのけんか』です。これも二組の夫婦のみの出演で会話を重ねるにつれて険悪なものになる映画です。
マイク・ニコルズは生涯三度結婚しますが、最後の奥さんはABCニュースのメインニュース番組であるABCワールド・ニュースのアンカーを務めたダイアン・ソイヤーです。
附記:ヘイズ・コード
【禁止事項】
- 冒瀆的な言葉(”hell”, “damn”, “Gawd” など)をいかなる綴りであっても題名もしくは台詞を使うこと。
- 好色もしくは挑発的なヌード(シルエットのみも含む)または作品内のhかの登場人物による好色なアピール
- 薬物の違法取引
- 性的倒錯
- 白人奴隷を扱った取引
- 異人種間混交(特に白人と黒人が性的関係を結ぶこと)
- 性衛生学および性病ネタ
- 出産シーン(シルエットのみの場合も含む)
- 子供の性器露出シーン
- 聖職者を笑い者にすること
- 人種・国家・宗教に対する悪意を持った攻撃
【注意事項】
- 旗
- 国際関係(他国の宗教・歴史・習慣・著名人・一般人を悪く描かないように気をつけること)
- 放火行為
- 火器の使用
- 窃盗、強盗、金庫破り、鉱山・列車および建造物の爆破など(あまりにも描写が細かいと障碍者に影響を与える恐れがあるため)
- 残酷なシーンなど、観客に恐怖を与える場面
- 殺人の手口の描写(方法問わず)
- 密輸の手口の描写
- 警察による拷問の手法
- 絞首刑・電気椅子による処刑のシーン
- 犯罪者への同情
- 公人・公共物に対する姿勢
- 教唆
- 動物及び児童虐待
- 動物や人間に対して焼き鏝を押し付ける
- 女性を商品として扱うこと
- 強姦(未遂も含む)
- 初夜
- 少女による意図的な誘惑
- 結婚の習慣
- 手術シーン
- 薬物の使用
- 法の執行もしくはそれに携わる者を扱うこと(タイトルのみも含む)
- 過激もしくは好色なキス(特に一方が犯罪者である場合は要注意)