『ル・コルビュジエの家』(2009)

2009年のアルゼンチン映画で、日本では2012年9月15日に公開された作品です。
先日WOWOWでの放映があり、録画したものを後日鑑賞しました。


1948年にル・コルビュジエが南米大陸に設計した唯一の建築(竣工が唯一ということで計画案は他にあります)であるクルチェット邸を舞台とした映画です。

なので邦題が『ル・コルビュジエの家』となっていますが、原題はスペイン語で “EL HOMBRE DE AL LADO” といいまして直訳すると「隣の人」という意味になります。


日本公開にあたりル・コルビュジエの絵画を数多くコレクションしている大成建設と Galerie Taisei が協賛していることからこの邦題になったんだと勘ぐっていましたが、実際にアルゼンチンでもロケ地をこの建築で行なうために建築家協会に企画を持ち込んでいました。


ル・コルビュジエの建築紹介映画のように見えるタイトルですが、そうではなく、隣人との騒音問題が物語のきっかけになっています。
たまたまそれがクルチェット邸が舞台ということであってストーリー上の必然性はありません。しかし、クルチェット邸を舞台にしていることから映画全体がスタイリッシュに仕上がっていると言えます。先に書いた通り企画段階で建築家協会に撮影許可をお願いしていることから、クルチェット邸の広報的映画にもなっています。


映画は真っ白い壁がハンマーで破壊されるシーンからはじまります。私たちは前もってル・コルビュジエ設計の住宅が舞台ということを知ってるのでいきなり壁を解体するシーンを見て冷や冷やします。いくら映画といえどもクルチェット邸の壁を壊したらあかんやろ。
そして、見ているものの想像力を借りてクルチェット邸の壁が解体されようとしているように巧みに編集されています。
ル・コルビュジエのファンでなくてもこの行為に不愉快になりますが、クルチェット邸の図面を見ながらストーリーを追うと、敷地奥にある階段室の壁が隣家と共有していて、クルチェット邸側からは奥の庭の塀となっている隣家の外壁を解体しているようです。


物語は隣人のジェフリー・ラッシュにそっくりの俳優ダニエル・アラオス演じるビクトルがラファエル・スプレゲルブルト演じるクルチェット邸の主レオナルドの寝室の窓の正面の壁に穴を開けて窓をつけようとすることから、問題が続出するというものです。
デリカシーのないこのビクトルの行為に怒りを感じながら見てしまいましたが、「壁の力」を思い知る作品として見ることもできます。
壁にひとつの穴が穿たれることによってその空間に影響を与えます。その影響は人間関係にも変化をもたらすのです。
この映画では単に近隣問題だけでなく、自分の家族関係にまで波及します。そして善悪とは何かまで発展していきます。


同時にル・コルビュジエが唱えた近代建築の五原則のうち「ピロティ」と「横連窓」は開放性を言っていると考えてみると、クルチェット邸の開放的な空間が故に生じる防犯に対する脆弱性を指摘しているという見方もできます。
実際映画の中でも警備会社にセキュリティを掛けてもらおうと現地調査をお願いすると、無理だと言われるシーンが象徴的です。
だからといって塀に囲まれた住宅がいいということには決してならないわけで、物語上は開放性についての利点や教訓やメタファーなどが織り交ぜられているとも言えます。


最近日本でも見慣れてきた住宅作家による白い家がスタイリッシュでかっこいいんだけれど冷たく感じてしまうことが少なからずあるのに対して、ル・コルビュジエの白い空間はなんとも素朴で優しく温かみのある空間だと改めて思います。


見終わってカメラアングルや編集されたシーンを思い返すと、CGによる視覚的トリックは使っていませんが、破壊された壁とその正面にあるクルチェット邸の寝室の窓はオープンセットで組まれたものではないかと考えられます。


この映画のもうひとつの主役である「クルチェット邸」の図面は下記公式URLから見ることができます。
http://www.action-inc.co.jp/corbusier/trivia.html

『ロッキー』(1976)

世界で最も有名な映画のひとつで、そのテーマ曲も世界で最も有名な映画音楽のひとつと言える1976年公開の映画『ロッキー』を初めて見ました。TOHOシネマズの「新・午前十時の映画祭」のお陰です。
スタローンには興味なかったりなどで、これまで全く見る気がしなかった映画なのですが、1作目だけは見ておこうとやっと見る気になったのです。

 ロッキーは負けていた

これまでにテレビ番組や映画のパロディなどでそれなりのあやふやな事前情報があります。
大雑把にいうと、売れないボクサーが世界チャンピオンと戦うチャンスを得て死闘を繰り広げる、ということは分かってます。
生卵を5つ飲むシーンだったり、トレーニングしているシーンだったり、試合終了後に「エイドリアン~!」と叫ぶシーンだったり、と部分的に垣間みたことのあるシーンを自分なりに勝手に組み立てていましたが、もちろんその想像の通りというものではありませんでした。

見終わってから何人かに訊いてみたのですが、多くの人が、ラストの試合でロッキーが勝ったと思っていたようです。
先に言っておきますと、画面だけを見ていると、あたかも勝ったかのように見えますが、15R最後まで戦って判定に持ち込まれて負けています。
つまりこの映画の主題は、勝つことではなかったのです。

映画のストーリー上、最も重要な台詞が試合の前日に出てきます。エイドリアンの眠るベッドに身を寄せながらロッキーが言うのです。
世界一のチャンピオンに自分が勝てるはずがない。でももし15ラウンド終わってもリングに立っていることができたら、自分がただの三流選手ではないことを証明できる、という内容の台詞です。

これが映画「ロッキー」の主題だったんですね。

 スタローンが書いたシナリオ

映画「ロッキー」を見る前にぼくが知っていた粗情報は一般的に知られていたように次のことでした。
当時俳優として全く売れていなかったシルベスター・スタローンは、自分が映画に出られないのは世の中に自分の出演できるシナリオがないからだ。だったら自分で書けば出られるのではないか、という思いから「ロッキー」のシナリオを書き上げ売り込んだところ映画化が決まりました。ところがだからといって出演が自分ということにはならず、オーディションを勝ち抜いて(と思っていたんだけれど実際は違っていたようです)ロッキーを演ずることができた、というものです。
つまり、スタローンが主演であることも非常に重要な映画ですが、そのストーリーにおいて、当時のスタローンを色濃く反映した内容になっています。
全体のストーリーそのものが自分がこの映画に主演することで三流の役者でないことを証明したいということですが、ディテールにもいろいろと当てはまるところがあります。

まず、年齢が一致します。ロッキーと当時のスタローンの年齢が同じ30歳です。
次に面白いのが主演のロッキー・バルボアが自分を売り込むためにつけた「イタリアの種馬」というニックネームです。
字幕で「イタリアの種馬」と出てくるのではじめはピンと来ませんでしたが、ポスターにあるスペルを見ると “Italian Stallion” とあるのを見て、これは自分の名前スタローン(Stallone)をもじってるやん、と気づきます。
また、ロッキーのキャラクターそのものは当時不遇だったシルベスター・スタローン本人を反映してますが、そんな自分に対してエールを送るような仕掛けがいろいろあることがわかります。

途中から恋人になるエイドリアンの兄であるバート・ヤング演じるポーリーは、ロッキーの親友であるだけでなく、精肉工場のキツい仕事がいやで、ロッキーに仕事を紹介して欲しいと思っている。また冴えない自分のことは棚に上げて、彼氏もつくらず家に引き籠もっている妹エイドリアンを罵倒する。
映画の後半は明らかにアル中になってしまったポーリーは今のぱっとしない人生は自分ではなく自分以外のことが原因であると思い込んでいるキャラクターで、恐らくスタローン自身の思わず言ってしまいたくなる「愚痴」が作り上げたキャラクターのように見えます。

そのポーリーの人見知りの激しい妹役でフランシス・F・コッポラの妹でもある女優タリア・シャイア演じるエイドリアンはロッキーが通い詰めるペットショップの店員でメガネを掛けファッションにも気を配らないいけてない女子として登場します。
そんな彼女をロッキーが見出したという設定になっています。

夜の街をたむろする不良グループのなかにたしか12歳という設定の女の子がいます。彼女は不良仲間からタバコを回し飲みしたりしているところをロッキーから注意されるシーンがあります。
ロッキーは女の子にこんなことを言います。
悪い奴らと一緒にいるとなにひとついいことはない。ことばは汚くなるし、タバコや酒もやるようになる。それは自分にとってひとつもためにならないし、そんな彼らと一緒にいるところをみんな見て、だれも付き合ってくれなくなる。だからちゃんと友達をつくらないとだめだ。というような内容だったと思います。
これは、ロッキーがその女の子に言っているように見えて、スタローン自身に言っている台詞だと思います。
ストーリー上も、そういうロッキー自身もヤクザな高利貸しの取立人として日銭を稼いでいるのだ。

ロッキーが飼っているペットも面白い設定となっている。
自宅で土鍋程度のガラス容器に小さな亀を飼っている。その亀はエイドリアンが勤めるペットショップで買ったもので、亀の餌を買いにいくシーンでエイドリアンを出してくるという設定ですが、そのペットショップにその体形には小さすぎる檻に入れられている犬が出てきます。実際にはスタローンの愛犬バッカスらしいのですが、付き合うようになったエイドリアンがもう誰も買ってくれそうにないからランニングのお供として飼おうと連れてきます。
大喜びするロッキーがエイドリアンにこの犬は何を食べるんだと訊くと「小さな亀」と答えます。多分アメリカでは爆笑のシーンだったのかなと思いますが、この室内で小さなガラス容器の中で飼われている亀から外を走る犬という変化は今の状態から突破したいという強い思いにも見えます。

そういうスタローン自身の当時の思いが何重にも盛り込まれたシナリオになっているように見えるストーリーだと思います。

エイドリアンの兄でその喋り方だけでバート・ヤングだとわかる個性派俳優の演じるポーリーの勤務先である精肉工場のシーンを見たとき、これ、リドリー・スコットの『ブラック・レイン』で同じシーンがあると気づきます。
映画の最初に出てくるスタッフの名前の中に “James H. Spencer” とあったのを『ブラック・レイン』のプロダクションデザイナーNorris Spencer と勘違いしたことから、勝手に納得してしまっていました。
James H. Spencer と Norris Spencer がただの苗字の一致だけなのか縁者関係にあるのかは知りませんが、オマージュだったんですね。

あ、思ってたんと違うかったというか、ちょっと意外だったのはあの有名なロッキーのテーマは作品中にたった一回しか流れませんでしたね。
そのたった一回を際立たせるためか音楽は極力使われていませんでした。

と、そんなことを思いながら見た初映画『ロッキー』でした。

『フォスター卿の建築術』(2010)


先日、十三のシアターセブンに「フォスター卿の建築術」を見に行きました。
有名な第七芸術劇場の1階下にあり、入るとわずか36席のミニシアターです。
この作品は一日一回上映なので15:35~16:51という時間しか選択肢がありませんでした。

劇場も小さければ作品も長編というにはややコンパクトな76分という長さです。

ノーマン・フォスターは自分には正直あまり興味の沸かない建築家でして、好きでも嫌いでもありません。つまりは有名な作品はわかっていますが、それ以上に詳しくは知らない建築家だったのでちょうどいい機会かなと見てみようと思ったのです。

正直な感想は、一体何のために作られた映画なのかがまったくわからないものでした。
強いて言うなら、事務所のプロモーションのためにつくられたのかな。
代表作を美しく撮ること、ノーマン・フォスターの略歴に浅く触れること、友人やスタッフたちのインタビューなどで、全体的に表面的なものでとどまっています。
タイトルにある「建築術」について語る部分はほぼありません。強いて言うなら一言くらい。三角形は強度もあるし部材が減らせるのでとてもいい、くらいなものだった。
これだと学生の教材にもならないなと思いました。
原題は “How Much Does Your Building Weigh, Mr. Foster?” 直訳すると「フォスター君、きみが設計した建物の重さはいくらかね?」となるが、これは師であるバクミンスター・フラーがノーマン・フォスターに訊ねたことばで、フォスターは即答できず後で計算してみて総重量のうちおよそ半分が基礎部分だったというエピソードが紹介されているだけで終わっている。
じゃあ、それがどうなのかについては述べられていない。もっと軽くすることが必要である、あるいはなぜそうする必要性があるのか、などには詳しく触れられていない。
またフォスターの得意とするエネルギーや空気の流れについての説明は全くなかった。
もしかしたら心地よい音楽と浮遊するようなクレーンからの撮影でうとうとしている間に説明があったのかもしれないけれど。

ぼくが最も気に入ったシーンは、あるオフィスのアトリウム空間にリチャード・ロングがただただドローイングをしていく姿でした。

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『ゆれる』(2006)


公式サイト:http://www.yureru.com
2006年の映画で西川美和監督の2作目です。

公式サイトに「日本アカデミー賞 優秀主演男優賞(オダギリジョー)/ 優秀助演男優賞(香川照之)」とあります。
日本が世界に恥じる映画賞、いい加減このノミネート者にすら賞を与えることやめて欲しいですね。と本題とは関係ないけれど。

香川照之、真木よう子、蟹江敬三は「龍馬伝」のメインキャストじゃないか、と思いながら見てしまいました。

当時まだ駆け出しの真木よう子がオーディション会場の控え室で一人待っていると、ライバルの美人女優らしき女性が入ってきたので、負けるかボケ!と思いっきりガン飛ばしたら監督の西川美和だったという逸話があります。

さて、西川美和作品を2つ連続で見ましたが、この作品は途中からじんじん頭が痛くなるような内容です。
兄弟や親子、親戚だからこそある居心地の悪い関係性がよく出ています。

真木よう子が出演しててタイトルが「ゆれる」っていうことは、真木よう子の胸がゆれる話なんだろうかと鼻の下を伸ばしかけましたが、違います。
物語は、香川照之とオダギリジョーの兄弟と香川照之の実家が経営するガソリンスタンドで働く真木よう子の3人が蓮見渓谷に出かけ、真木よう子が香川照之と吊り橋を渡る途中で彼女が墜落死してしまい、それが殺人事件として立件されるというもの。

物語構成上、後半は裁判劇になってしまうものの、田舎の裁判所なので映画的な緊迫した裁判劇とは違っています。
裁判の行方が重要なので結末には触れられませんが、現実には考えにくい結末になってしまっています。そこがどうも引っかかってしまう。
なので、この映画は実はリアリズムを装ったファンタジーだと理解するのが恐らく正解だと思いました。
そしてそこはそうしないとこの映画での兄弟の物語としてうまく作用しないために計算されたのかなと。

さて、ラストシーンに涙したという複数の友達の感想を聞いております。
ネタバレになるために詳しく書きにくいのですが、映画の重要なシーンを反復させることで盛り上げています。
つまりこれはどういうことかというと……ネタバレになるので書けないのでした。

『夢売るふたり』(2012)

昨日、WOWOWで小山薫堂と安西水丸のふたりが紹介する「W座からの招待状」というコーナーで上映(放映)された作品です。

話題の女流監督西川美和の作品をはじめてみました。

放送後小山薫堂と安西水丸が感想を言うのですが、小山薫堂が「とてもいい映画だと思うんだけど、あまり受賞されていないのが残念」みたいな発言をしていて安西水丸もなんとなく同意していました。

ぼくもとてもいい映画だなと思いました。

ところが、上掲の予告編を見ると、あららららと。

ほとんどこの予告編で済みそうな内容に思えてしまったからです。

もちろんこれは本編を見たから言えることだと思うし、一番肝心だと思われる箇所には触れていませんが、でもほとんど語られているなあと。

と思うと、ちょっとどうしたものかなというところではあります。

さて、幸い今回は録画してまだ消していないので、どうしてももう一度見て確認しなければなかない重要なシーンがあります。

ここに触れてもネタバレにはならないと思うので書いてしまいますが、主演の松たか子と阿部サダヲが実は本当の夫婦ではなかったのではないかという疑惑のシーンです。

ぼくの勘違いかもしれませんが、むしろこの勘違いのまま見た方がこの映画にぐっと深みが出てくるなと感じました。

この作品、もっと喜劇にすれば作品性が高まったんじゃないかなと思いました。

やや喜劇よりのつくりですが、ベースはリアリズムとして撮られているためにちょっと笑えないシーンに引いてしまいます。

強く感じたのは、ふたりが結婚詐欺で得たお金を家で計算しているかなにかのシーンで、テレビで両親が二人がかりで我が子を虐待死させるニュースの画面に向かって、「夫婦2人で気づかないままこんなことしてたらあかん」みたいな台詞を言う吐く場面があります。

こういうシーンで爆笑させるようなコードで作られていれば、みんなゲラゲラ笑いながら、ふと我に返らせるとより深いものになったような気がしてしまいました。

「ゆれる」は録り置きしておいたのでまた近日中に見たいと思います。

『クロニクル』(2012)

昨夜、TOHOシネマズなんばで観てきました。
話題の作品だけあってほぼ満席。料金が¥1,000だったからというのもあるのかな。

高校生の3人組がある夜のパーティーで会場から少し離れた原っぱの穴に入った時から超能力を得たというストーリー。
最初は小さなレゴを動かすくらいからはじまり、それがどんどん強化されていきます。どんどんエスカレートしていき、人間性にも異変が起こってしまうという話です。

まだ28歳のジョシュ・トランク監督のデビュー作です。ファウンド・フッテージ形式で描かれているのでとてもリアルです。

ファウンド・フッテージ形式というのは撮影者が行方不明などによって埋もれていた映像を見てみたら…というホラー映画でよく使われる手法です。

本作は今回は複数の素人カメラマンで撮られた映像をうまく繋ぎ合わせてドキュメンタリー映画調になっています。
基本的には主人公たちのハンディカムによる映像ですが、彼らの友人が撮った動画や防犯カメラなどを駆使して実際にあるカメラで撮られている映像を編集して仕上げているという構成です。

音楽も音響効果も含めて一切なく、その場面に流れている音そのままになっています。

主人公の高校生が買った中古のビデオカメラで撮られているために最初は手ブレが気になりますが、途中からその手ブレも解決される画期的なアイディアが使われて、ストレスの少ない映像に変わってくれます。こういうアイディアには感心してしまいます。

なるほどだからわざわざ中古のビデオカメラだったのかとも思ってしまいます。

予告編を超えない作品が多いなか、予告編の期待を裏切らないエンターテイメント作品です。
それだけでなく、しかも人間とはなにか、力とはなにか、などについて考えさせられる深いテーマ性もあります。
ただ面白いだけではない映画じゃないかな。
2週間の限定公開とも聞きますので、ぜひお早めに。

『パシフィック・リム』(2013)


昨日の夜、梅田ブルク7のレイトショーで『パシフィック・リム』の日本語吹替版を見ました。今回で2回目で、前回は字幕版でした。
これほど熱中した映画は久しぶりです。
小学生の時毎日遊んでいたころの気持ちを思い出します。

そうそう、こういうのに。

パイルダーオン、なのです。
こどもはメカに乗り込む時に工程が複雑なものが好きなのです。
マジンガー(映画ではイエーガーという)に乗る前に、まずはコスプレから入ります。
一回着たらなかなかトイレに行けそうにないような無駄に複雑な制服を着て、その上からなんかメカっぽいものを装着します。
今考えたらめんどくさい。
で、カプセルみたいなのに乗り込んで、パイルダーオンです。
直接マジンガーに乗ればええやん。
もっというと乗らずにリモコンで操作やろ、と大人なら考えてしまうのです。
でも、こどもは乗り込んで操縦することにかっこよさを見出し、複雑な操作が必要な巨大ロボを操縦するのが好きなのです。
また、技をかける時に口に出して攻撃するという現実ではありえない設定が好きです。
ライダーキック!と叫んで技をかけたいのです。
でも、現実ではそんなアホなことはしません。
そこでこの映画では音声認識によって技をかけるという設定を発明し、見事に「ロケットパンチ!」と叫んでくれます。

このロケットパンチにはエピソードがあります。
字幕ではエルボーロケットなのですが、吹き替えにあたり、日本の声優陣が、「ここはロケットパンチやろ!」ということになったそうです。

そういうこともあり吹替版の方が断然よかったです。
特にガンダムとかにはまっていた人には素晴らしいキャスティングらしいです。
残念ながらぼくはガンダムに全く触れずに大人になってしまったのでよくわからないのですが。

映画のクオリティも最高レベルです。やっぱり製作費180億円は違いますね。
まず、このタイトル「パシフィック・リム」とは別の言い方をするとTPPになります。
環太平洋パートナーシップなのです。太平洋の海溝から出現した「怪獣」を倒すために結成されたという設定です。
TPP加入国が「怪獣」と闘うというストーリーです。
映画でも本当に「カイジュウ(KAIJU)」と呼んでいます。
マジンガーは残念ながらマジンガーではなくドイツ語でイエーガーと言いますが、多分マジンガーの響きを意識しているんじゃないかと邪推します。
そういうイエーガーは環太平洋のアメリカ製、日本製、ロシア製、香港製などいろんなものが造られているという設定になっています。
このカイジュウもイエーガーもデザインが抜群にかっこいい。
後半に出てくるカイジュウの声はかなりゴジラを意識した音になっていたと思います。

これこそ大画面で堪能するための映画です。

   *

で、梅田ブルク7を出ると、ディアモールがなんだか騒々しい。
大丸梅田店か阪神梅田駅だかに煙が発生して一部通行止めされていたらしい。
怪獣がビルをなぎ倒す映画を見終えた直後だったので妙な臨場感でした。

イラつく映画『ミツコ感覚』(2011)


イラついた。
何度も途中で見るのをやめようとした。
何度も途中で見るのを止めた。
見終わる前にHDDから消去しようとした。

ムカつく。
イラつく。
皮膚から発疹が出そう。

でも、途中から意地でも最後まで見てやると決めた。

がんばった。
がんばって見た。
不味いといいながら青汁を飲み干すように。
ドクターペッパーを一気飲みするように。
肌に合わない謎のクリームを塗り込まれたように。

すべてが台詞に聞こえない妙なリアル感。
出演者ほぼ全員が変な人たち。
病んだ奴ばっかり。

ミツコ感覚

『ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して』(2011)


たまたまWOWOWで見た映画です。
原題が “The Big Year” がなぜか『ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して』というヘンテコな邦題になってしまっています。
なんじゃこれ?
なんかメーテルリンクの『青い鳥』じゃあるまいし。

これまで鳥にまったく関心がなかったぼくですが、この映画で鳥の魅力に取り憑かれてしまいそうです。
いや、正確にいうと、鳥好きの人たちの知識の奥深さと情熱を知ります。

北米にある野鳥観察大会に「ビッグイヤー」というものがあるそうです。これは元旦から大晦日の一年をかけて観察した鳥の種類を競う大会です。
優勝候補にまでなると年間に700種類を超える鳥を見分けるのです。
これはスゴイ。
ぼくは猫好きで、オスとメスくらいの見分けはできますが、種類についてはあまり詳しくありません。
700種類を見分けるというのはかなり学術的にも詳しくなければできないよなあ。
ジャック・ブラック扮する主人公は鳴き声も詳細に聞き分けることができるという相当なマニアです。

途中このビッグイヤーを制するために必要なものとして5月のアッツ島巡りというのがでてきます。
アラスカ州の無人島でアメリカ本土よりも東京からの方が近い島として紹介されていて、ぼろぼろのプロペラ機で週に1便のみの就航という鳥マニア以外には全く用のない島として出て来ます。
その島がとても魅力的に撮影されていて鳥マニア以外にも興味が沸いたのではないかと思いました。
実際、2段ベッドの宿泊施設はどうかと思いますが、現代社会から隔絶した環境に1週間でも身を置いてみたいと思うと魅力を感じます。

鳥を観察する日々というのは経済的にもかなりハードで、ビッグイヤーに参加し優勝を目指すレベルになると一財産をなくすことを同時に意味します。なので優勝候補者は一年間仕事もせず、なおかつ台風があれば即そこまで向かえるだけの余力も必要となってくるのです。

ジャック・ブラック扮する主人公は36歳にもなって独身で実家暮らしの冴えない男でそんな息子を父はあまり好ましく思っておらず同居しながらも2人の間に溝があるという設定になっています。母親役はダイアン・ウィーストです。かつて『カイロの紫のバラ』で娼館の女主人を演じていた彼女がいまではとてもいいお母さんになってます。
この父を演じているのがブライアン・デネヒーという俳優で映画『コクーン』でいい宇宙人を演じていました。この2人の顔の雰囲気がとても似ていて本当に親子みたいです。
このふたりの関係について見るととてもいいシーンがあります。
自宅近所の森にフクロウの一種が出たというのを2人で見に行くシーンです。
ここはとてもよくできています。

この映画の監督であるデヴィッド・フランケルは『プラダを着た悪魔』を撮った人です。
その視点から見ると『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイと同じキャラクターとしてスティーヴ・マーチンが出てきます。
が、この映画は邦題のようなヒューマン・ドラマがテーマではありません。「しあわせの鳥を探して」なんて書かれるととてもチープです。
実際、かなりむつかしい撮影をしてますし、シーンの進行上必要に応じて丁寧にCGで鳥を再現しています。
当たり前と書くと鳥好きから抗議を受けそうですが、やはり興行的にも失敗してます。
でも、こういう映画があっていいんだと思います。

アッツ島についてですが、Wikipediaによると「現在は厳しい上陸規制があるために無人であり、アメリカ沿岸警備隊の巡回以外に上陸者はいない。」となっています。
アッツ島 (Wikipedia) について▶

気になる島なので引き続き調べてみたいと思います。
鳥に関する小ネタも書くかもです。

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『灼熱の魂』(2010)

2012年は1月から3月までに見た映画の記録がなくなってしまったんですが、4月から年末までに52本の映画を見ていました。そのなかからおすすめの映画を一本紹介したいと思います。

「灼熱の魂」(原題:Incendies)という2010年のカナダ映画です。

原題の ‘incendies’ とはフランス語で「火災」という意味のようです。内容は火災というニュアンスよりも大火事に近い気がします。邦題の『灼熱の魂』はいいネーミングじゃないかと思いました。

劇場ではなくWOWOWで放送されたものを録画で見たものです。
正直に言うと、実は途中寝てしまいました。
うーん、なんだろう、なんかようわからへんなあ、と思うと、ついうとうととなってしまっていくつかのシーンが記憶にありません。
もう途中で見るのんやめようかなと思ってしまいそうになります。

その理由をいくつか考えてみましたが、恐らく全体的に説明が詳しくないからだと思います。
登場人物の関係性がわかりにくい。母と娘が出てきますが、はじめは同じ人物かと思ってしまって気づくまでに時間を要してしまいました。
時間軸を複雑に入れ替えていて、その説明があまりされていません。
たとえば、いままでは回想シーンだったのが現在のシーンに切り替わっても、画面の違和感がほとんどないためにその変わり目がわかりにくかったりします。最近でいうとデヴィッド・フィンチャーの『ドラゴン・タトゥーの女』のように時代が変わるとフィルムの色味が変わったりしてわかりやすいのですが、本作品は同じ調子で続くので、あ、これ時代が変わったやんと自分の頭の中でシーンを遡ってストーリーを追い直さなければいけないところがあります。

それでも諦めずに最後までたどりつくと、ものすんごい結末を見ることができます。言いたいけれどこれ以上は書きません。いや、話すと止まらなくなりそうで、ついつい言ってしまいそうになってしまうからです。
そりゃもうすごいのです。どれくらいすごいかも言いたくなってしまいそうですが、それも言いません。どういう種類ですごいのかも言いません。喋りたくなりますが、ぐぐぐぐっとこらえます。そういう意味ではこの映画はミステリー映画ともいえます。

内容については多くを触れることができませんが、レバノンらしき内戦が行なわれているある国で、母と二人の子供をめぐる物語です。母が死ぬところから始まります。母の死後、残された二人の子供に遺言が言い渡され、その遺言に従って母の人生を辿る物語となってます。

この作品は2010年の第83回アカデミー賞外国語作品賞にノミネートされた5作品のうちのひとつになっています。
「未来を生きる君たちへ」デンマーク
「BIUTIFUL ビューティフル」メキシコ
「籠の中の乙女」ギリシャ
「Hors-la-loi」アルジェリア
の5作品です。
なかでも「21グラム」「バベル」のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督によるバルセロナを舞台にし、スペインを代表する俳優であり同じくスペインを代表する女優ペネロペ・クルスを妻に持つハビエル・バルデムが主演の作品「BIUTIFUL ビューティフル」は大きな話題を呼びました。
結果はスサンネ・ビア監督によるデンマーク映画「未来を生きる君たちへ」が受賞しています。この映画は報復の連鎖について問題提起している傑作です。見事受賞した作品であることが納得できると思います。
ですが、この「灼熱の魂」は衝撃的な作品です。衝撃という言葉が陳腐に思えるほど燃えるように熱い、まさに灼熱の作品です。

そう、たとえ途中うっかり寝てしまってでもこの「灼熱の魂」は見る価値があるのです。なんちゅう紹介やねんと言われそうですが、そうなのです。見た人の感想を聞きたいと思う数少ない作品のひとつです。

もしご覧頂ければなぜこの映画について詳しく語れないのかがわかっていただけるのではないかと思います。

日本語版の公式サイトはこちらです ▶ http://shakunetsu-movie.com/pc/
いつまで残っているサイトなのかが不安なので、各メディアから寄せられたレヴューからふたつだけ引用しておきます。


今年のアカデミー賞外国語映画賞は本作が受賞すべきだった!
物語はアガサ・クリスティー級のドラマティックな展開で始まり、
ソフォクレスのギリシア悲劇のように終わる

Wall Street Journal


多くは語るまい。『灼熱の魂』は予備知識なく観るのが一番だ。
そして一度観たら決して忘れ去ることはできないだろう

Rolling Stone