『ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して』(2011)


たまたまWOWOWで見た映画です。
原題が “The Big Year” がなぜか『ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して』というヘンテコな邦題になってしまっています。
なんじゃこれ?
なんかメーテルリンクの『青い鳥』じゃあるまいし。

これまで鳥にまったく関心がなかったぼくですが、この映画で鳥の魅力に取り憑かれてしまいそうです。
いや、正確にいうと、鳥好きの人たちの知識の奥深さと情熱を知ります。

北米にある野鳥観察大会に「ビッグイヤー」というものがあるそうです。これは元旦から大晦日の一年をかけて観察した鳥の種類を競う大会です。
優勝候補にまでなると年間に700種類を超える鳥を見分けるのです。
これはスゴイ。
ぼくは猫好きで、オスとメスくらいの見分けはできますが、種類についてはあまり詳しくありません。
700種類を見分けるというのはかなり学術的にも詳しくなければできないよなあ。
ジャック・ブラック扮する主人公は鳴き声も詳細に聞き分けることができるという相当なマニアです。

途中このビッグイヤーを制するために必要なものとして5月のアッツ島巡りというのがでてきます。
アラスカ州の無人島でアメリカ本土よりも東京からの方が近い島として紹介されていて、ぼろぼろのプロペラ機で週に1便のみの就航という鳥マニア以外には全く用のない島として出て来ます。
その島がとても魅力的に撮影されていて鳥マニア以外にも興味が沸いたのではないかと思いました。
実際、2段ベッドの宿泊施設はどうかと思いますが、現代社会から隔絶した環境に1週間でも身を置いてみたいと思うと魅力を感じます。

鳥を観察する日々というのは経済的にもかなりハードで、ビッグイヤーに参加し優勝を目指すレベルになると一財産をなくすことを同時に意味します。なので優勝候補者は一年間仕事もせず、なおかつ台風があれば即そこまで向かえるだけの余力も必要となってくるのです。

ジャック・ブラック扮する主人公は36歳にもなって独身で実家暮らしの冴えない男でそんな息子を父はあまり好ましく思っておらず同居しながらも2人の間に溝があるという設定になっています。母親役はダイアン・ウィーストです。かつて『カイロの紫のバラ』で娼館の女主人を演じていた彼女がいまではとてもいいお母さんになってます。
この父を演じているのがブライアン・デネヒーという俳優で映画『コクーン』でいい宇宙人を演じていました。この2人の顔の雰囲気がとても似ていて本当に親子みたいです。
このふたりの関係について見るととてもいいシーンがあります。
自宅近所の森にフクロウの一種が出たというのを2人で見に行くシーンです。
ここはとてもよくできています。

この映画の監督であるデヴィッド・フランケルは『プラダを着た悪魔』を撮った人です。
その視点から見ると『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイと同じキャラクターとしてスティーヴ・マーチンが出てきます。
が、この映画は邦題のようなヒューマン・ドラマがテーマではありません。「しあわせの鳥を探して」なんて書かれるととてもチープです。
実際、かなりむつかしい撮影をしてますし、シーンの進行上必要に応じて丁寧にCGで鳥を再現しています。
当たり前と書くと鳥好きから抗議を受けそうですが、やはり興行的にも失敗してます。
でも、こういう映画があっていいんだと思います。

アッツ島についてですが、Wikipediaによると「現在は厳しい上陸規制があるために無人であり、アメリカ沿岸警備隊の巡回以外に上陸者はいない。」となっています。
アッツ島 (Wikipedia) について▶

気になる島なので引き続き調べてみたいと思います。
鳥に関する小ネタも書くかもです。

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『灼熱の魂』(2010)

2012年は1月から3月までに見た映画の記録がなくなってしまったんですが、4月から年末までに52本の映画を見ていました。そのなかからおすすめの映画を一本紹介したいと思います。

「灼熱の魂」(原題:Incendies)という2010年のカナダ映画です。

原題の ‘incendies’ とはフランス語で「火災」という意味のようです。内容は火災というニュアンスよりも大火事に近い気がします。邦題の『灼熱の魂』はいいネーミングじゃないかと思いました。

劇場ではなくWOWOWで放送されたものを録画で見たものです。
正直に言うと、実は途中寝てしまいました。
うーん、なんだろう、なんかようわからへんなあ、と思うと、ついうとうととなってしまっていくつかのシーンが記憶にありません。
もう途中で見るのんやめようかなと思ってしまいそうになります。

その理由をいくつか考えてみましたが、恐らく全体的に説明が詳しくないからだと思います。
登場人物の関係性がわかりにくい。母と娘が出てきますが、はじめは同じ人物かと思ってしまって気づくまでに時間を要してしまいました。
時間軸を複雑に入れ替えていて、その説明があまりされていません。
たとえば、いままでは回想シーンだったのが現在のシーンに切り替わっても、画面の違和感がほとんどないためにその変わり目がわかりにくかったりします。最近でいうとデヴィッド・フィンチャーの『ドラゴン・タトゥーの女』のように時代が変わるとフィルムの色味が変わったりしてわかりやすいのですが、本作品は同じ調子で続くので、あ、これ時代が変わったやんと自分の頭の中でシーンを遡ってストーリーを追い直さなければいけないところがあります。

それでも諦めずに最後までたどりつくと、ものすんごい結末を見ることができます。言いたいけれどこれ以上は書きません。いや、話すと止まらなくなりそうで、ついつい言ってしまいそうになってしまうからです。
そりゃもうすごいのです。どれくらいすごいかも言いたくなってしまいそうですが、それも言いません。どういう種類ですごいのかも言いません。喋りたくなりますが、ぐぐぐぐっとこらえます。そういう意味ではこの映画はミステリー映画ともいえます。

内容については多くを触れることができませんが、レバノンらしき内戦が行なわれているある国で、母と二人の子供をめぐる物語です。母が死ぬところから始まります。母の死後、残された二人の子供に遺言が言い渡され、その遺言に従って母の人生を辿る物語となってます。

この作品は2010年の第83回アカデミー賞外国語作品賞にノミネートされた5作品のうちのひとつになっています。
「未来を生きる君たちへ」デンマーク
「BIUTIFUL ビューティフル」メキシコ
「籠の中の乙女」ギリシャ
「Hors-la-loi」アルジェリア
の5作品です。
なかでも「21グラム」「バベル」のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督によるバルセロナを舞台にし、スペインを代表する俳優であり同じくスペインを代表する女優ペネロペ・クルスを妻に持つハビエル・バルデムが主演の作品「BIUTIFUL ビューティフル」は大きな話題を呼びました。
結果はスサンネ・ビア監督によるデンマーク映画「未来を生きる君たちへ」が受賞しています。この映画は報復の連鎖について問題提起している傑作です。見事受賞した作品であることが納得できると思います。
ですが、この「灼熱の魂」は衝撃的な作品です。衝撃という言葉が陳腐に思えるほど燃えるように熱い、まさに灼熱の作品です。

そう、たとえ途中うっかり寝てしまってでもこの「灼熱の魂」は見る価値があるのです。なんちゅう紹介やねんと言われそうですが、そうなのです。見た人の感想を聞きたいと思う数少ない作品のひとつです。

もしご覧頂ければなぜこの映画について詳しく語れないのかがわかっていただけるのではないかと思います。

日本語版の公式サイトはこちらです ▶ http://shakunetsu-movie.com/pc/
いつまで残っているサイトなのかが不安なので、各メディアから寄せられたレヴューからふたつだけ引用しておきます。


今年のアカデミー賞外国語映画賞は本作が受賞すべきだった!
物語はアガサ・クリスティー級のドラマティックな展開で始まり、
ソフォクレスのギリシア悲劇のように終わる

Wall Street Journal


多くは語るまい。『灼熱の魂』は予備知識なく観るのが一番だ。
そして一度観たら決して忘れ去ることはできないだろう

Rolling Stone


『籠の中の乙女』(2009)

2009年公開のギリシャ映画『籠の中の乙女』の日本版予告編です。
この作品は第62回カンヌ国際映画祭で上映されて「ある視点」賞を受賞しています。第83回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートもされた作品なのである視点によってはアカデミー賞作品賞候補より優れた映画とも考えられる作品と言えます。
第83回(2010年)アカデミー賞外国語映画賞のノミネート5作品は次の通りです。

  • 『未来を生きる君たちへ』デンマーク映画
  • 『BIUTIFUL ビューティフル』メキシコ映画
  • 『籠の中の乙女』ギリシャ映画
  • 『灼熱の魂』カナダ映画
  • “Outside the Law” アルジェリア映画

今回この映画を見たのでぼくがまだ見ていないのはアルジェリア映画の “Outside the Law” だけになりました。受賞したのは『未来を生きる君たちへ』でした。

犬歯というタイトルの映画

『籠の中の乙女』に話を戻しましょう。

上掲の日本版予告編から想像する世界観とは本編は随分違う印象を受けます。
モーツァルトや映画『ものすごくうるさくてありえないほど近い』の音楽が流れていますが、本編では効果音としてのサントラ音楽は流れません。
とても平板でルーティンな暮らしが映されます。全編96分のなかでは予告編に使われたシーン以外はほとんど退屈なシーンばかりです。途中寝てしまいそうになります。ぼくは記憶を失ったシーンがあると思います。

次に引用するのは英語版の予告編です。”Dogtooth” というのが英語タイトルで、ギリシャ語の原題 “Κυνόδοντας” も同じ意味です。

タイトルの “dogtooth” とは文字通り「犬歯」のことでストーリー上重要な言葉となっています。

この映画はある一家の物語で登場人物も6人だけです。予告編に全出演者が映っています。正確には一言だけ台詞のある脇役を入れて7人です。ですが、メインはある一家の父、母、長女、次女、長男の5人家族と父の経営している会社の女性警備員の6人だけです。基本的に一家の家の中でストーリーが進みます。

ストーリーの紹介はWikipediaをそのまま引用したいと思います。(引用元

ギリシャのとある裕福な家庭の父母は、3人の子供たちを家から一歩も外出させず、社会から隔絶させて育てていた。子供たちに名前すら付けず、外の世界は恐ろしいと洗脳し、更に外の世界に関わる言葉については嘘の意味を教えるなど徹底した管理の中、父親は母親を含めた家族全員に対して絶対的な地位に君臨していた。やがて長男が思春期に突入すると父親は性欲処理用に女を雇うことにする。その女として選ばれたクリスティナは長男との関係に飽き足らず、長女にまで手を出す。一方、性に目覚めた3人の子供たちは無邪気に性的な関係を結ぶようになる。

クリスティナに性的な関係を求められている長女は、その代償としてクリスティナが持っていたビデオを手に入れると、録画された内容から外の世界に興味を抱くようになる。ビデオの存在を知った父親は長女を激しく折檻し、更にクリスティナの家で、彼女をビデオデッキで叩きのめすと、呪いの言葉とともにクビにする。

両親の結婚記念日を祝った夜、長女はかねてより両親から言われていた「犬歯が生え変わったら外の世界に出られる」との言葉を信じ、嬉々として自ら犬歯を折ると、父親の車のトランクに隠れる。長女の姿が消えたことで慌てた家族だったが、諦めた父親は翌朝、長女がトランクに入ったままの車で仕事に出かける。父親の職場の駐車場に止められた車のトランクが大写しにされ続け、何も変化を見せないまま物語は終了する。

上掲のストーリーと予告編でほとんど内容がわかりそうな気がします。

正直申し上げると、とても妙な映画です。と同時にとても不快感を抱く内容です。父の歪んだ子育てによって子供たちは人間性を失っているという不快感です。見る者を不快にさせてしまうような映画に見る価値があるのかと思ってしまうほどです。
なので見終わるともう二度と見ることもないと思い、録画したHDDからデータを消去しました。

ところが、数日経ったある日、これはひょっとしたらプラトンの「洞窟の比喩」を描いていたのではないかと思うようになったのです。

プラトンの「洞窟の比喩」

プラトンの「洞窟の比喩」と呼ばれる逸話は『国家』の第7巻の最初に記されている喩え話です。

fig5

岩波文庫に掲載されている挿図(左図)を元に簡単に説明してみます。図は洞窟の概略図で、左上の開いているところが地上です。
地下にある洞窟状の住いのなかにいる人間たちを思い描いてもらおうというところから始まります。
人は〔ab〕のところに手足も首も縛られたままでいて動けないし、矢印の方向にしか視界が開けていない。
彼らの上部〔i〕に火が燃えていて、その光が彼らの後ろから照らされている。
〔ef〕のところには人形遣いがいて〔gh〕に衝立(ついたて)が置かれている。人形遣いが操り人形を出してみせている。それが洞窟の奥にある〔cd〕の壁に影が映し出されている。

一生涯〔ab〕にいる人が〔cd〕の壁に映る影だけを見ているとすると、その影が実体だと信じて疑わない。まさか、その後ろにある〔ef〕が実体で〔cd〕はその影にすぎないとは考えもしないだろう。さらに、洞窟の外には大地があって太陽が照っている世界があるとは想像を超えている。光とは〔i〕のことであって、まさか洞窟の外の太陽が存在するなどと言われても信じない。

『籠の中の乙女』を見ている私たちは、登場人物たちをこの「洞窟の比喩」の拘束された人たちと同じではないかと考えることができるのではないかと思ったのです。
あそこに住む子供たちは敷地の内側だけが本物の世界だと信じ込まされている。また、ことばの意味も間違って教わっている。敷地の外にはもっと別の「本当の世界」があることを知らないし、もしも知ったところで、言葉を違って覚えているのでコミュニケーションが取れない。そんな彼らに悲劇を見る。父親は彼らから残酷にも人間性を奪っていると見ることができます。

監督はプラトンと同じギリシャ人としてプラトンが『国家』のなかで紹介したこの「洞窟の比喩」を監督流の感性で描いたのではないかと推測することができるかもしれません。

もしこの強引にも思える仮説が合っているとすれば、鑑賞者である私たちこそが実は洞窟のなかの拘束された囚人なのかもしれないと言っているのかな、と邪推してしまうのでした。

 

『地獄の逃避行』(1973)

『トップガン』や『クリムゾン・タイド』などの大ヒット映画を監督したトニー・スコットの代表作のひとつ『トゥルー・ロマンス』はで1993年9月10日にアメリカで公開されました。トニー・スコット作品の中ではぼくが最も好きな作品です。

この映画の魅力ひとつが音楽であり、なかでも繰り返し流れるハンス・ジマーによる「You’re So Cool」というシロフォンによるチャーミングなテーマ曲があると言えます。

先日、WOWOWでテレンス・マリック監督のデビュー作である『地獄の逃避行』を見て驚きました。桂三枝(今の桂文枝)による長寿番組「新婚さんいらっしゃい」ごとく椅子ごと転げるくらいの驚きでした。オープニングに流れる曲が「You’re So Cool」なのです。いや、少しアレンジは異なるものの同じ曲と言えます。
調べてみるとドイツ人作曲家カール・オルフ(Carl Orff : 1895.07.10 – 1982.03.29)の「Gassenhauer」という曲で、オルフが「子供のための音楽」(ムジカ・ポエティカ:Musica Poetica)として作られた作品群 Orff Schulwerk のひとついうことがわかりました。「Gassenhauer」とは英語で言うと「Street song」という意味になるようです。

『トゥルー・ロマンス』と『地獄の逃避行』は音楽だけでなく多くの類似点が見られます。
『トゥルー・ロマンス』は『地獄の逃避行』へのオマージュとして撮られている作品なのです。

では、この『地獄の逃避行』とはどういう映画なのでしょうか。

アメリカで1973年10月15日に公開された原題 “Badlands” という邦題『地獄の逃避行』は1958年にネブラスカ州で実際にあった「スタークウェザー=フューゲート事件」というスプリー・キラー(Spree killer)を題材にしています。主演はマーティン・シーンとシシー・スペイセク。撮影は後に『羊たちの沈黙』を撮るタック・フジモトの初撮影作品です。

物語はジェームズ・ディーンそっくりの25歳の清掃員キットと15歳の少女ホリーが出会い恋に堕ちます。交際をホリーの父に反対されたことで、キットがホリーの父親を射殺することを発端に、その後キットが表情ひとつ変えずに出逢った人を次つぎと殺していく逃避行を描いたロードムービーでありバイオレンス映画という側面もあります。映画ではしばしば常軌を逸した残虐性を耽美的に映像化されますが、本作はその典型と言えるのかもしれません。

邦題の『地獄の逃避行』は主演のマーティン・シーンがその後『地獄の黙示録』で有名になったためにコマーシャル的に付けられたものです。スティーヴン・セガールの出演作を『沈黙の〜』とするみたいなものでしょうか。
原題『Badlands』ですが、これは地質的なことばで、広義には地質・地形が悪く農業や宅地開発に適さない土地という意味で、狭義ではWikipedia(悪地)によると結合度の低い堆積層や粘土層などが風雨により極度に侵食され、峡谷状の涸れ谷になった荒地のことで組織地形の一種であるそうです。北米では一般に知られていて、元はアメリカのサウスダコタ州にあるバッドランズ国立公園となっている地域を、先住民のラコタがマコシカ(Makhóšiča)と呼んでいたことに由来しているそうです。
そのタイトルのとおり、都市風景的なものは後半から出てきません。地平線まで望める砂漠のような荒地をバックに撮られているシーンが続きます。これは主人公キットの心情をメタファーとして表していると思います。
また、同時に映画の冒頭では言葉の通りに「悪い土地」という意味で語られています。

 

『トゥルー・ロマンス』との類似性について

『トゥルー・ロマンス』が『地獄の逃避行』を倣っているのはテーマ曲だけではありません。映画が主役の恋人によって語られているというだけでなく、そのナレーションの口調もよく似ています。ストーリーにも類似性が多く、かなり意識されたということがわかります。

また『トゥルー・ロマンス』ではクリスチャン・スレーター演じる主役のクラレンス・ウォリーの父クリフォード・ウォリーをデニス・ホッパーが演じています。デニス・ホッパーは『理由なき反抗』と『ジャイアンツ』でジェームズ・ディーンと共演しており、実際友達だったという逸話が残されています。このキャスティングには『地獄の逃避行』のキットが劇中では『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンそっくりであるということが関係していそうです。

サウンドトラックを見てみると、チャーリー・セクストンが「Graceland」という曲を提供していますが、原題の『Badlands』に呼応したタイトルではないかと考えられます。

 

『テルマ&ルイーズ』と『セブン』

『地獄の逃避行』は『トゥルー・ロマンス』だけでなく多くの映画の元ネタになっていることが見るとわかってきます。
『トゥルー・ロマンス』が公開される2年前の1991年5月24日にトニー・スコットの兄リドリー・スコットが撮ったロードムービー『テルマ&ルイーズ』にも『地獄の逃避行』へのオマージュが見られます。

ストーリー上では借りたことになっている盗んだキャデラックに乗ってパトカーから逃げるシーンは『テルマ&ルイーズ』の多くのシーンにそのまま生かされています。

『トゥルー・ロマンス』がロサンゼルスの比較的都市化されたエリアでストーリーが進むのに比べて、『テルマ&ルイーズ』ではテキサスの広大な大地を背景に撮られているシーンが多いです。そしてそのサントラを見ると同じくチャーリー・セクストンが「Badlands」という曲を提供していること、後に『トゥルー・ロマンス』へも出演するブラッド・ピットが出演していることなどから、『テルマ&ルイーズ』から『トゥルー・ロマンス』へバトンが渡されているようにも読み取ることができるかもしれません。

そして、『トゥルー・ロマンス』から2年後の1995年9月22日に公開されたブラッド・ピットの主演作であり彼の出世作とも言える『セブン』のラスト近くで荒野に行くシーンはカメラワークや色調もそっくりのシーンが出てきます。この監督デヴィッド・フィンチャーはリドリー・スコットの『エイリアン』の第3作『エイリアン3』で映画監督としてデビューし、この『セブン』は彼の2作目となる作品です。『地獄の逃避行』とテーマ性は異なるものの、こちらも連続殺人をテーマにしてますね。

恐らく、この『地獄の逃避行』へのオマージュとなっている映画作品は他にも多いようなので、もしも見つけることができればここに付け加えていきたいと思います。

 

『レバノン』(2009)

今回も映画のお話です。

「レバノン」というタイトルの戦争映画。

レバノンと聞くと、なんだかいつも戦争しているような印象がありますね。

前回の記事にも取り上げた映画「灼熱の魂」もレバノン内戦が物語の核になっていました。

イスラエル、フランス、ドイツの合作で、台詞はアラビア語がメインだと思います。ヘブライ語も出てきたのかもしれません。いや、逆なのかなあ。たまに英語が出てきます。アラビア語とヘブライ語を聞き分けていた訳ではありませんが、どうもそのようです。はっきり言ってまったくわかりませんでしたので100%字幕頼りです。はい、英語でももちろん100%字幕頼りなんですけれども。

作品はレバノン戦争が題材になっています。はじまってすぐに「1982年6月6日」と出てきます。

かといって、この1982年6月6日という日付にどういう意味があるのかということや、どういう背景でその戦争が起こったのかなどの歴史的背景や基礎的な知識はまったく知らなくても鑑賞できるように作られています。

もっというと、メインの登場人物も自分たちが何の目的でこの戦争に駆り出されているのかよくわかっていないという設定になっています。そのあたりの具体的な説明はなかったと思いますが、軍からお前はいまからこの戦車に乗れ、あとは指示に従えということのようです。

たぶんそんな経緯があって4人の若い兵隊が1台の戦車に乗り込み、無線からの指示に言われるがままに行動していくというストーリーです。

主役の戦車に乗っている4人の若者の視線で映画が撮られています。

つまり、暗く狭い戦車の室内でのシーンがすべてになっていて、外の状況は戦車内のモニターのみで覗き込むという演出手法をとっているのです。

こういう映画ははじめてみました。

これまでは戦車を外から撮るものがほとんどで、歩兵と戦車が並列化され、戦車がひとつの人格のように目に映っていました。じゃあ実際その戦車のなかはどうなってんのというところまでは知らずに、あるいは特に知る必要もなくスルーしていたんだなあということにまず気づかされました。

しかも、表情がまったく外に見えない状況なので、例えば砲撃を受けてもなかでせせら笑っているのかびびって震えているのかがわからない。で、人一倍破壊力の優れた大砲を持っている。

外部の状況が潜望鏡(専門的なことがわからないのですが、多分一般名詞的なことばでいうと潜望鏡というのがいいのではないかと思ってそう呼ぶことにします)で覗いた視界のみでつながっているということは、概念的にも構造的にも外部と内部が分離してしまっているということになるんですが、その潜望鏡にレンズ機能がついているためにちょっと別の作用が働くんですね。つまり、視界は思いっきり狭いために、かなり映像的な世界でしか外部を把握できないんだけれど、拡大することで、標的がかなり生々しく迫ってくる。肉眼ではあり得ないほど目の前に見える。これは、逆に怖いなと思いました。遥か遠くの標的を肉眼で狙って発砲するのと違って目の前の標的に爆撃を行なうという恐怖感があります。

人を殺すことはどういうことなのかをリアルに体感できる。それを潜望鏡という眼差しと映画のスクリーンがシンクロするという意味ではかなり優れた手法だなと思いました。

はじめの方に、前方から敵なのかそうではないのかわからない車がやってきて、無線からその車を撃つように命令されます。自分としては敵じゃないかもしれない人に対して撃つのはいかがなものかと躊躇してしまう。その考えている間に見方の歩兵が撃たれて死んでしまう。お前が一発撃たなかったせいで見方が一人死んだやんけ、どないしてくれるねん、次から迷うことなく撃て言われたら撃たなあかんで、とこっぴどく怒られる。見ているこちらも、そんなもん撃たなこっちがやられたらあかんやんと主人公たちにちょっと苛つく。

でも、人がいいのか単なる臆病者なのか、自分の手で人の命を奪いたくないという。いや、そんなんやったらお前がなんで大砲係やってんねん、という話にもなる。さらに苛つく。そうして内部で4人の意見が食い違ってくることで、なんだかヤバい展開になってきそうになる。一応の長はいるものの実際にはリーダーシップがなくって頼りない。お前がそんなんやったら全員死ぬで、と苛つく。

しかしながら戦争という大義名分があっても人を殺せない。それは至ってまともな人なんだけれど、「正義とはなにか」とサンデル教授的なディベートを繰り広げている暇もない。そうしているうちに撃ち込まれるかもれいない。上司の命令を待ってみてもそれが正しい答えなのか、たとえ正しいとしてもそのなかに自分たちの死が内含されていたらどうするのか、と苛つきながらいろいろと考えを巡らせる映画となりました。

エンディングにはじめて彼らの乗る戦車の外観が映されます。とてもいい映像で締めくくられています。

この作品「レバノン」は2009年9月12日に発表された第66回ベネチア国際映画祭コンペティション部門の最高賞金獅子賞を受賞しました。

関連サイト
http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-11473820090913

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