カテゴリー別アーカイブ: 鑑賞録

『インターステラー』(2014)

クリストファー・ノーラン監督最新作。SF映画の巨岩『2001年宇宙の旅』に真正面から挑んだ作品と言えます。
さっぱりわからんかったけれど激烈に感動した、というのが初見の正直な感想です。
この「さっぱりわからん」も含めて『2001年』的であると言えます。
多くの映画ファンが大傑作と認める『2001年』は一体なんの話なのか分かっている人は多くいません。だけど、多くの人を感動させ、20世紀最高のSF映画と挙げられる作品になってます。
ネットでレビューをいくつか検索してみると涙したという感想の間に、これのどこがええねん、という感想も見受けられるということからも、この作品が大傑作となって映画史に残る可能性が高そうに思えます。
ここでは、さっぱりわからんかった筆者に多くを語ることができませんので、いくつかの映画と比較して感想を書いてみたいと思います。

一年前のSF大作『ゼロ・グラビティ』とは真逆の作品である

同じ宇宙もののSF映画として最近のとんでもない力作で本当はアカデミー賞作品賞を獲るはずだった『ゼロ・グラビティ』とは映画技術でみると真逆の作品です。
『ゼロ・グラビティ』は映画史の最先端を行くテクノロジーを駆使し、もっというとこの映画を撮るために新しい撮影技術を開発して創られた100%デジタル撮影の作品です。本来撮影後に映像処理するために使うCGを先に作り込んで、その映像に俳優たちをはめ込むという逆のことを行なっています。そのためにあらゆる動きを同期させると言うかなり難易度高いことをやっているのです。
『インターステラー』は同じ宇宙もののSF映画にも関わらずフィルムで撮影しています。35mmとIMAX70mmフィルムだそうです。
CG処理は特撮時のワイヤーなどを消す作業程度にしか使っていません。
そのため全部実物大のセットやミニチュアを創って撮っているのはもちろんです。
つまり1968年に発表された『2001年』当時の技術でほぼ撮られています。六角形のレンズフレアが写っているのはそのためです。
クリストファー・ノーラン曰く、フィルムで撮られたものの方がリアルであり、デジタルで撮影されたものはどうもコンピューターゲームみたいで好きじゃないということなのです。
また黒がデジタルではどうしても真っ黒にはならないということもフィルムを選んだ理由として挙げています。

『未知との遭遇』

監督は『2001年』だけでなく多くのSF映画からの影響を認めています。『ブレードランナー』『エイリアン』『スター・ウォーズ』『E.T.』『ライトスタッフ』、タルコフスキーの『惑星ソラリス』『鏡』などを挙げています。

またこの映画は最初はスティーヴン・スピルバーグが撮るはずでした。『コンタクト』をコーディネートした理論物理学者キップ・ソーンが立案したものをスピルバーグが撮ることとなりスピルバーグに雇われたジョナサン・ノーランが脚本を書いていた経緯があります。

ところがスピルバーグのドリームワークスがパラマウントからディズニーに移ったためにパラマウントが新たに監督を探すことになり、ジョナサンが兄のクリストファー・ノーランを推薦したのです。

そういう経緯があり、物語には壮大なテーマを家族に集約させるという手法を採っています。

家族を棄てて宇宙に旅経つという設定は『未知との遭遇』そのものです。そういう視点で『インターステラー』を見てみるのも面白いと思います。

『インセプション』

クリストファー・ノーラン作品の近作『インセプション』と比べてみても面白い。

こちらは夢の中の物語で、夢の中で夢を見るなどと自分の意識の下へ下への入って行く物語であるのに対して、『インターステラー』は逆に宇宙の上へ上へと向かっていく物語です。

自分の意識の奥へ行くに従ってどろどろとしたものからやがて砂漠のような風景となることを描いた『インセプション』を撮ったクリストファー・ノーランが宇宙をどう描くのかという見方で見るのは面白いです。

また、クリストファー・ノーランはキャスティングが絶妙な監督であると言えます。

たとえば『インセプション』ではエディット・ピアフの曲が重要な役割を果たしていますが、そのエディット・ピアフを演じたマリオン・コテアールを主人公の自殺した妻として出演させ、主役のディカプリオは『インセプション』出演前に出た『レボリューショナリー・ロード』と『シャッタ・アイランド』では妻を死なせてしまった役を演じています。

観客が映画を見る時にその俳優が演じた背景を無視して見ることができないことを巧みに利用しているとも言えます。

今回もそういうキャスティングがあります。

宇宙物理学に関してはちんぷんかんぷんですが

最後に宇宙物理学の知識があった方が楽しく見られると思いますが、物理学というだけでアレルギー症状を起こす人も少なくないと思います。

別にわからなくても大丈夫です。

後半のクライマックスに向けて「この際相対性理論はどうでもいい」という台詞が出てきますから。

その上で、ひとつだけ触れておきたいのが5次元です。

1次元:線
2次元:面
3次元:立体

というのは基礎知識として、次に、4次元という時に一般的に言われているのが「時間」です。

それはまあ同意するとして、5次元めの軸は一体なんなのか。

映画の中でアン・ハサウェイが、そのことについて語るシーンがあります。

それは一体なんなのか、に注目してご覧になると面白いと思います。

クリストファー・ノーランと言えば音楽はハンス・ジマーが常連ですが、今回はダークナイトシリーズなどで耳にするハンズ節みたいなものは消えた新しい音楽になっていると思います。

なんだか全然書き足りませんが、とりあえずは初見の感想ということで。

今年のぼくの映画鑑賞歴は『ゼロ・グラビティ』にはじまり『インターステラー』に終わりそうです。

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『エリジウム』(2013)


ニール・ブロムカンプ監督の傑作SF『第9地区』に次ぐ作品です。本作品ではなんとマット・デイモンが主演し、ジョディ・フォスターも出演します。すごいグレードアップです。
地球環境が悪化したために超富裕層がスペースコロニーに居住し、そこに住めない人々が劣悪な環境下の地球でスペースコロニー監視下で貧困に喘ぎながら暮らすしている、という近未来SFにありがちな設定です。
ぼくが好きな映画『ブレードランナー』でも地球がディストピアと描かれていますが、同じロサンゼルスが舞台で時代設定も含めてその延長線上にあると言えます。
さらに遡ると、階層化された社会の分断を描いた傑作SFに『メトロポリス』があります。こちらは地上の超高層に住むブルジョア層と日も当たらない地下で奴隷のように働かされる労働者階級に二分して描いています。
映画ではしばしば現実社会への問題提起としてSFやホラーという表現形式をつかいますが、本作もそうです。
本作は医療問題が主題ですが、かなりわかりやすいかたちで表現されています。
前作『第9地区』では南アフリカのアパルトヘイト政策をエイリアンという形で表現していたのに対し、『エリジウム』は高度に発達した医療はつまるところ金持ちのためにしかないと言う物語です。
その主題については、映画を見ればだれでもわかるレベルで描かれていますので、今回は別のところについて少し触れたいと思います。
『第9地区』をご覧になった人はわかると思いますが、ニール・ブロムカンプは恐らく趣味として戦闘機や兵器が好きなんだなと思います。
そこはあまり詳しくないためにぼくは書けませんが、2作を通じてかなりリアルに表現していると思います。共にスラム街が舞台となっていますが、その中古っぷりやぼろぼろ具合が共通している気がします。
また、本作で表現されているものに、パワードスーツとスペースコロニーがあります。
パワードスーツが映画で初めて登場したのは1986年ジェームズ・キャメロン監督作品『エイリアン2』ではないかと思います。
『エイリアン2』ではパワーローダーという進化したフォークリフトのようなデザインで出てきますが、そのフォークリフトをパワードスーツとしてエイリアンと闘うためにシガニー・ウィーバーが装着します。
スペースコロニーもかなりしっかりと描かれています。ぼくが注目したのは、オープンエアでそのまま宇宙空間に開放しているというところです。遠心力を利用して大気層をつくっているんだとわかりますが、このスペースコロニーについて勉強しておくべきだと思いました。

あと、近未来のディストピア社会を描く上で必要不可欠な高度に管理化された社会についてもかなりわかりやすく表現されています。一例は、冗談の通じないロボットのような役人たちをそのままロボットとして登場しています。
そして、この映画で描かれていることは、残念ながらSFという絵空事ではなく、視覚化されていないだけで、既に現実になっています。
舞台は2154年ロサンゼルスですが、これはSFではなく、現実社会を少しだけディフォルメした物語であるといえます。

『インポッシブル』(2012)

2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震後の津波に遭遇したある家族の実話をもとに描かれた映画です。
津波を体験するということはどういうことなのかを実感できる映画です。日本では東日本大震災で起こった津波の映像をNHKなどで多くの人が見ていると思いますし、実際に体験した人の話を聞くことも少なくないと思います。しかしながら、見聞きするものと体験することの間には大きな違いがあります。
この映画はその両者の大きな隔たりをかなり近くしてくれるものになっていると断言します。

実際に津波に遭うということはどういうことなのか。
津波が引いた後はどうなっているのか。
助かった後、体にはどんなことが起こるのか。
その後人間はどういう行動をとるのか。

そういうことを克明に表現してくれています。

津波に関していろいろ見たり聞いたりするよりは2時間足らずのこの映画を見る方がいいと言い切ります。
最近よく見る「事実に基づく物語」というタイプに入るものになるのですが、この映画は見る人の経験にかなり近いものを与えてくれると思うからです。
そして、災害後に起きる物語に津波にも勝る感動的なシーンが幾度となく出てきます。

映画は、日本で働く一家が年末休暇にタイに行き、災害に巻き込まれる物語です。ユアン・マクレガーとナオミ・ワッツが夫婦役の三人の子供のいる家族が主演です。
ナオミ・ワッツは本当に巧いと思います。かなりハードな役だと思いますが彼女の演技がよりリアリティーを高めてくれていると思います。

ユアン・マクレガーとナオミ・ワッツ出演なのでハリウッド映画と思っていると、ちょっと映画の雰囲気が違うんです。調べてみると監督以下スタッフィはスペイン人で、スペイン映画でした。

オフィシャルとは思えない簡素な作りの公式サイト(http://impossible-movie.jp)にはメイキングのYouTubeが載っています。次にリンクを貼っておきますが、1/2スケールミニチュアを製作して撮っているシーンなど、フルCGとは違って手作り感溢れる特撮風景が紹介されています。


リドリー・スコット最新作『悪の法則』のブルーレイのオーディオ・コメンタリーで知ったのですが、スペインは国策として映画に力を入れているそうです。
スペインでスペイン人を雇用して外国映画を撮影すると補助金が出るそうです。詳しい条件はわかりませんが、リドリー・スコットによるとスペインロケを行ったために映画の予算が増えかなり助かったということらしいです。『悪の法則』にハビエル・バルデム、ペネロペ・クルスのスペイン人夫婦の俳優が出演している理由はもしかしたらそこにもあったのかもしれません。
話を『インポッシブル』に戻すと、もしかしたらこの作品も同じ理由でスペイン・アメリカ合作なのかもしれません。
推定の話はさておき、教育的作品として必見の映画だと思います。

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『GODZILLA ゴジラ』(2014)


予告編を何度も見て、期待値がどんどん高くなり、見る前から自分の中でハードルを高くしてしまったために、本当はそこそこの傑作なのに評価が下がってしまうことがあります。
でも、今回の『GODZILLA』は大丈夫です! そんな高いハードルを軽々と超えてくれました!

一番しびれたのはゴジラの叫び声です。
これまでのいろんなサントラのなかでも群を抜いて凄い叫びでした。
他のどんな音とも質が違います。
特別な周波数が複雑に組み合わさったその叫びはわれわれに何かを訴えているようにも聞こえます。
怒れる神の声を表現しているに違いない。
今回のゴジラはその英語標記にある通り”GOD”として描かれているんだということが想像できます。
ストーリーでもそういう解釈をしていると言えます。

ゴジラ本体のデザインも東宝ゴジラの愛らしいキャラクターを継承しつつも新しいゴジラ像にチャレンジしています。
徐々にアニメキャラ化して頭が大きかったプロポーションに比べて、頭が小さくなり、子供受けの表情からきりりとした表情に変わったように見えます。
繊細な表情をすることで、ゴジラに感情移入できるようにもなっています。

つまり、レジェンダリー・ピクチャーズは本気でゴジラを造ってくれたということなんです。
製作総指揮の名前に”YOSHIMITSU BANNO”という名前がクレジットされていますが、この坂野義光は1971年の『ゴジラ対ヘドラ』の監督脚本を手掛けた東宝の重役だった人です。坂野義光を介してレジェンダリー・ピクチャーズは東宝に対してゴジラ生誕60周年に相応しいゴジラになっているかチェックを受けているようです。

トーマス・タルが2003年に設立した映画製作会社のレジェンダリー・ピクチャーズ(Legendary Pictures)はこれまで『ダークナイト』『マン・オブ・スティール』『パシフィック・リム』を製作してきたことから、子供向けや漫画のキャラクターを徹底的に現代社会のリアリティーを追求して、作り直すことを行なってきていると言えます。
つまり1954年に発表された『ゴジラ』第1作をどのように60年後の現在に受け継ぐのかということをかなり意識して作られています。
先に書いてしまうと、全体的に第1作へのリスペクトとゴジラそのものにたいする愛にあふれた作品になっていると強く感じました。
一番わかりやすいところでいうと、ほとんど主役級の重要な登場人物で渡辺謙が演じる博士の名前は “ISHIRO SERIZAWA” です。
漢字にすると芹沢猪四郎。
これは1954年の『ゴジラ』の監督本多猪四郎と最も重要な登場人物である科学者の芹沢大助の名前を合わせたものです。
最も重要な台詞の多くはこの芹沢博士だけが語ります。それくらいに重要な人物として描かれています。

そしてゴジラというキャラクターを考える上で避けて通れないものは「原子力」です。
そもそも1954年の『ゴジラ』が作られたのは1954年3月1日にアメリカが行なったビキニ環礁での水爆実験によって日本のマグロ漁船である第五福竜丸が被爆したことによります。
志村喬演じる山根博士が、度重なる原水爆実験によって太平洋海溝に異変が起き、ジュラ紀の生物である恐竜が蘇ったのだと自説を語るシーンがあります。
今回はその説を継承しつつ新しいアイディアを盛り込みました。そこはさすがレジェンダリー・ピクチャーズだなと感心しました。
その部分はオープニングクレジットのシークエンスで見事に表現されています。
不都合な真実は伏せ字で隠蔽されているということと隠蔽を実行するために原水爆実験が行なわれたと言う設定にしているんだなというのが読めてきます。
細かく説明すると、第1作ではゴジラの死とその死骸が回収不可能となったことで山根博士の説を裏付けることができていません。あくまで推測ということになっています。テレビ通販にある「個人の感想です」レベルです。それから60年経過した今、しかも原水爆実験を行なった側であるアメリカだからわかることがあるという設定になっています。

そしてそのオープニングクレジットのシークエンスを見ることで、前半ゴジラがしばらく登場しなくても私たちは待つことができます。
じらせばじらされるほど期待感は高まり、どう登場してくれるのかをわくわくして待つようになっています。
そしてついに登場するシーンでも見せ方がめちゃくちゃ上手い。うわーギャレス・エドワーズ天才や!と思います。
カメラが動く速さ、見える視野の広さなど完璧といえるくらいに巧いのです。バンザーイ!です。
もうこれ以上はいちいち書きませんので実際に見て下さい、と言いたいです。

話を少し戻してゴジラと原子力の話。
1954年3月1日に起きた第五福竜丸被爆事件から9か月後の11月3日に『ゴジラ』は完成しています。脚本は5月第1週に書かれたということですから製作期間はわずかに半年です。
当時の日本映画は敗戦後経済援助を受けていることから直接口にしにくかった反原水爆を怪獣映画と言う表現で行なったと言えます。
そして日本は2011年3月11日に東日本大震災から福島の原子力発電所の重大な事故が発生してから後、60年前のように日本映画界はなにかを表現したのかと言う問いに、日本映画界ではなくハリウッド映画が大胆にチャレンジしたと言えます。
ストーリーはまずは日本の原子力発電所がメルトダウンするところから始まり、津波を表現しているシーンもあります。
またぼくがすごくいいなと思ったのが、なんでもかんでも電子制御されてしまっている現代社会を痛烈に皮肉っているシーンがあって、その表現はかっこいいんです。

特にゴジラ生誕60周年と言う記念すべき年に日本からではなくアメリカで製作され、しかも全世界的に大成功を収めたのは嬉しくもあり、やや寂しくもあります。

日本で始まり、途中ハワイを経由してサンフランシスコに渡すと言うこのストーリーもゴジラと言う日本を象徴するアイコンがアメリカに上陸すると言う話でもあります。

見終わった感想のひとつに、実際に全世界で興行的に大成功したんだけれど、本当の意味で欧米人はこの『GODZILLA ゴジラ』を受け入れてくれたんだろうかとも思いました。
映画全体に東洋的あるいは日本的な思想を色濃く反映しているからです。
ゴジラに似たタイプのSF大作映画と言えばたとえば『アルマゲドン』のように人類(もしくはアメリカ人)に重大な被害を与える未知の怪物に対して戦うというパターンでは、最後は人類(あるいはアメリカ人)の知恵とテクノロジーによって克服するというものがほとんどです。というか全部そんなんです。
その根底には「人間が一番エラい!」という考え方があります。
神は自分に似せて人間を作ってその人間のために自然やら動物やらつまりは世界はあるとうい旧約聖書の物語があるからです。
もしこれまでのハリウッド映画であれば、なんとかしてアメリカ軍なり政府なりが解決するというストーリーになっていたと思いますが、今回はそういう考え方よりも、自然界に人間も住まわせてもらっているという日本になじみの深い考え方にかなり寄っているからです。
なので、もしそういう考え方も含めて受け入れてくれているとすれば、ゴジラがアメリカに上陸してもいいんだと思えます。

いろいろ書きましたが、そんなことはどうでもいいくらいに面白い映画です。

8月はくだらない映画ばかりでこの『GODZILLA』以外に見る映画なんかありませんので、ぜひ劇場で迫力あるゴジラの叫びを聴いて欲しいと思います。

『罪の手ざわり』(2013)

リドリー・スコット監督最近作『悪の法則』のブルーレイコメンタリーの中で、この映画で撮りたかったもののひとつに「発展に蝕まれる世界の姿」であると語っています。

この『罪の手ざわり』を見ると中国における高度に発展している過程において蝕まれた世界を見事に描いていると言えます。

シーンの間に物語を俯瞰するように挿入される都市の風景にそのテーマをそっと描いています。

タワーマンションが建ち並ぶ遠景の手前に瓦礫の山となっている荒廃した風景を同時に撮っていたりします。
現代の中国で実際に起こった事件をヒントに作られた4つの場所で4人が選んだものについて描かれた内容になっています。

公式サイトから引くと、山西省の男、重慶の男、湖北省の女、広東省の男の4つの物語を、グランドホテル形式ではなく、オムニバス形式に近い物語を引き継ぐようなリレー方式で語られます。

動的な物語と静的な物語が交互に描かれ、山西省の男と湖北省の女は激しい情感が表現されています。

公式サイト:http://www.bitters.co.jp/tumi/

『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』(2014)

公開日の6月21日土曜日梅田のTOHOシネマズ梅田シアター2の19:15開始の回で見ました。
残念ながらガラガラでした。TOHOシネマズ梅田で2番目に大きな劇場で475席(スクリーンサイズ5.7×13.3m)もあると空席が目立つと正直つらい。

別の映画での予告編で芦田愛菜の関西弁がなかなか上手いなと思って調べてみると西宮出身でした。上手いの当たり前ですね。ネイティヴやったんや。
ということもあってか、映画は思いの外よかったんです。
正直、ほとんど期待していなかったんだけど、いい映画でした。
ストーリーよりも彼女が演じるこっこ(渦原琴子)のキャラクターがとてもいい。
芦田愛菜の(今風に言うとすれば)巧過ぎる演技がわざとらしく見えるんじゃないかと予想していましたが、この頃の小学生ってそもそもわざとらしい。なのでむしろリアルでした。
タイトルの円卓は映画では説明がなかったんだけど、西加奈子の原作によると、「駅前の潰れた中華料理店『大陸』から譲り受けた」(Wikidepiaによる)らしいけれど、現実的には多分、部屋に入らないんじゃないかなと思う大きさです。

阪急電鉄沿線を歩くシーンや団地の風景から千里あたりかなと思って見ていると映画の真ん中らへんに太陽の塔の背中が見えるシーンが出てきたので、恐らく阪急千里線の北千里駅近郊と言う設定だろうと思います。
そういうロケーションだったり関西弁がこの映画の最大の魅力となっています。

『ゴジラ』(1954)


日本が世界に誇る怪獣映画の第1作である『ゴジラ』を見てきました。
太平洋戦争終了からわずか9年後の昭和29年、西暦1954年に日本でこんなクオリティ高い映画を作っていたというのに驚きます。

1954年3月1日に行なわれたビキニ環礁の水爆実験によってマグロ漁船第五福竜丸が被爆したことがきっかけで『ゴジラ』の企画が立てられ、同年11月3日には公開されました。脚本をわずか1週間で書き上げ(5月初旬)撮影開始が8月7日、51日かけて9月下旬にクランク・アップしたということです。
今見ればちゃっちい特撮シーンもありますが、モノクロ画像と相まって迫力ある映像に仕上がっています。

若い女性が電車の中で友達との雑談で「長崎の原爆から逃れて東京にやってきたのに、ここでも放射能にやられるかもしれないって一体どこに行けばいいの」とさらっと口にするシーンもあったりします。
水爆実験からはじまったということ、また戦後わずか9年で戦後復興のためにアメリカから援助を受けていたというと言う社会的背景もあって、ただの勧善懲悪ものではないストーリーとなっているのも素晴らしい。

この映画関西地区では6月20日までの上映で、いつでも1,000円で見られます。
もし映画館でご覧になる場合は出来るだけ前の席でご覧になることをお勧めします。

『X-MEN: フューチャー & パスト』(2014)


「X-メン」シリーズを初体験しました。しかも、というかどうせなら3Dで。
TOHOシネマズの3Dメガネが改良されていて、メガネ on メガネでも装着しやすくなっているのが嬉しい。

DCコミックと並ぶ二大アメコミ出版社であるマーベル・コミックの代表作のひとつがこのXメンシリーズです。
DCコミックはスーパーマンとバットマンシリーズ、マーベル・コミックはスパイダーマン、アベンジャーズ、アイアンマンなど。
親会社は現在DCコミックがワーナー・ブラザース、マーベル・コミックはディズニーになってますが、このXメンシリーズは20世紀FOXです。

5月30日に公開されたばかりということと、1日の映画の日と言うことで、劇場はほぼ満席。観るのを決めたのが1時間前だったので、すでに最前列しか空いていませんでした。
なぜ観ることにしたのかといいますと、ジェニファー・ローレンスが全裸に近い状態で出演していると言うこととファン・ビンビンが出演していると言うスケベ心からでした。
ファン・ビンビン(范冰冰)ってびっくりするほど美人なんですが、この映画ではその美貌があまりうまく発揮されていませんでした。
名前がすごい。日本語の響きからとるとすごいAV女優なんかと思うような名前です。

さて、前置きが長くなりましたが、今回「フューチャー&パスト」というサブタイトルがついています。「未来と過去」じゃあかっこ良くないからカタカタにしたんでしょうね。Xメンの舞台はそもそも未来を舞台にしたSFものですが、本作では1973年とを行き来するストーリーとなっています。

過去に移動する理屈がよくわからなかったのですが、そこをあまり追求しても意味がなさそうです。
それよりも1973年に世界が大きく変わることのきっかけとなることが起こるのです。
ほかの作品を見ていないからわからないのですが、このXメンにはマイノリティたちの苦悩が主軸にあります。
黒人差別だったり、ハンディキャップを持っている人たち、同性愛者、人種差別を受けている人々をXメンとして描いています。

全然違う映画ですが、たまたま一昨日録り置きしていた映画『天使の分け前』というケン・ローチ監督の作品を観ましたが、この作品も同じく社会的弱者がどうやって生きて行くかを描いていました。ストーリーも表現方法も全く違いますが、実は同じテーマを描いていると思います。

このXメンシリーズの原作者はスタン・リーという漫画原作者でスパイダーマン、超人ハルクも彼の作品です。
社会からはじき出されたマイノリティが特殊能力を持つことで社会に認められようとする設定が多いように思います。
そのことについて考えていたのですが、多くのヒーローものは日本のウルトラマンシリーズも含めて、そういう設定が基本になっているのがほとんどなんだなということに気づきながら帰ってきました。

今年のバレンタインデーに同性愛者であることをカミングアウトしたエレン・ペイジが出演していることもよくできたキャスティングだなと思いました。
監督のブライアン・シンガーはユダヤ人でありゲイであることを公言していて、Xメンたちに投影されていることがわかってきます。

『ザ・イースト』(2013)

かつてM字開脚で話題になったインリンといえば「エロテロリスト」ですが、この映画はエコテロリスト集団を題材にしています。

タイトルがなぜ「ザ・イースト」なんでしょう。「ジ・イースト」と発音することは中学校一年生以上なら誰でも知っていることです。人を莫迦にするのも大概にせいやと言いたくなりますね。このタイトルがエコテロリスト集団の名称です。

エコテロリスト、すなわち環境テロリスト集団とは、環境汚染や健康被害をもたらす大企業の幹部に報復を行なう集団です。
たとえば、海を石油で汚染させた企業のCEO宅を石油まみれにする、という手法をとるわけです。

やられたらやり返す!と半沢直樹よりも文字通りされたことと同じことをその人に与える集団なのです。
物語はそんなエコテロリスト集団に潜入捜査を行なう任務を受けたサラが、その任務と倫理観の狭間に揺れ動く様子を描いています。
正義とはなにかを考えるのがテーマと言えます。

主演のサラを演じる女優がとても端正な美形だなと調べてみると、ブリット・マーリングという人で本作ではなんと脚本・製作もこなす才女ではないですか。すごいなあ。
そんな彼女の才能を認めたのがリドリー・スコットと亡き弟トニー・スコットの兄弟で、したがってスコット・フリーが製作しています。
エンドロールの後に、例のスコット・フリーの動画が流れる作品なのです。
と思うとリドリー・スコット・ファンであるぼくには映像と音楽の雰囲気がとてもスコット・フリーっぽく見えました。

出演陣は、イーストの主要メンバーのひとりを演じるエレン・ペイジとサラの上司役のパトリシア・クラークソン以外はぼくは知らない人たちでした。それも合わせて非常に重いテーマでありながら新鮮な映画としてみることができました。

『ル・コルビュジエの家』(2009)

2009年のアルゼンチン映画で、日本では2012年9月15日に公開された作品です。
先日WOWOWでの放映があり、録画したものを後日鑑賞しました。


1948年にル・コルビュジエが南米大陸に設計した唯一の建築(竣工が唯一ということで計画案は他にあります)であるクルチェット邸を舞台とした映画です。

なので邦題が『ル・コルビュジエの家』となっていますが、原題はスペイン語で “EL HOMBRE DE AL LADO” といいまして直訳すると「隣の人」という意味になります。


日本公開にあたりル・コルビュジエの絵画を数多くコレクションしている大成建設と Galerie Taisei が協賛していることからこの邦題になったんだと勘ぐっていましたが、実際にアルゼンチンでもロケ地をこの建築で行なうために建築家協会に企画を持ち込んでいました。


ル・コルビュジエの建築紹介映画のように見えるタイトルですが、そうではなく、隣人との騒音問題が物語のきっかけになっています。
たまたまそれがクルチェット邸が舞台ということであってストーリー上の必然性はありません。しかし、クルチェット邸を舞台にしていることから映画全体がスタイリッシュに仕上がっていると言えます。先に書いた通り企画段階で建築家協会に撮影許可をお願いしていることから、クルチェット邸の広報的映画にもなっています。


映画は真っ白い壁がハンマーで破壊されるシーンからはじまります。私たちは前もってル・コルビュジエ設計の住宅が舞台ということを知ってるのでいきなり壁を解体するシーンを見て冷や冷やします。いくら映画といえどもクルチェット邸の壁を壊したらあかんやろ。
そして、見ているものの想像力を借りてクルチェット邸の壁が解体されようとしているように巧みに編集されています。
ル・コルビュジエのファンでなくてもこの行為に不愉快になりますが、クルチェット邸の図面を見ながらストーリーを追うと、敷地奥にある階段室の壁が隣家と共有していて、クルチェット邸側からは奥の庭の塀となっている隣家の外壁を解体しているようです。


物語は隣人のジェフリー・ラッシュにそっくりの俳優ダニエル・アラオス演じるビクトルがラファエル・スプレゲルブルト演じるクルチェット邸の主レオナルドの寝室の窓の正面の壁に穴を開けて窓をつけようとすることから、問題が続出するというものです。
デリカシーのないこのビクトルの行為に怒りを感じながら見てしまいましたが、「壁の力」を思い知る作品として見ることもできます。
壁にひとつの穴が穿たれることによってその空間に影響を与えます。その影響は人間関係にも変化をもたらすのです。
この映画では単に近隣問題だけでなく、自分の家族関係にまで波及します。そして善悪とは何かまで発展していきます。


同時にル・コルビュジエが唱えた近代建築の五原則のうち「ピロティ」と「横連窓」は開放性を言っていると考えてみると、クルチェット邸の開放的な空間が故に生じる防犯に対する脆弱性を指摘しているという見方もできます。
実際映画の中でも警備会社にセキュリティを掛けてもらおうと現地調査をお願いすると、無理だと言われるシーンが象徴的です。
だからといって塀に囲まれた住宅がいいということには決してならないわけで、物語上は開放性についての利点や教訓やメタファーなどが織り交ぜられているとも言えます。


最近日本でも見慣れてきた住宅作家による白い家がスタイリッシュでかっこいいんだけれど冷たく感じてしまうことが少なからずあるのに対して、ル・コルビュジエの白い空間はなんとも素朴で優しく温かみのある空間だと改めて思います。


見終わってカメラアングルや編集されたシーンを思い返すと、CGによる視覚的トリックは使っていませんが、破壊された壁とその正面にあるクルチェット邸の寝室の窓はオープンセットで組まれたものではないかと考えられます。


この映画のもうひとつの主役である「クルチェット邸」の図面は下記公式URLから見ることができます。
http://www.action-inc.co.jp/corbusier/trivia.html